「二元代表制」とは名ばかり
首長と議会の一体化や対立が横行

 そもそも「二元代表制」という仕組みが日本人に合わないのかもしれない。地方自治の現場を取材していると、そんな思いに捕らわれてしまうことがある。

 二元代表制は、首長と議会がそれぞれ住民によって選ばれ、役割分担しながら自治を担うという制度である。しかし、現実の姿はそうなっておらず、極端なケースばかりが目立つ。

 二元とは名ばかりで、首長と議会が一体化してしまっている事例や、逆に双方が激しく対立して背を向け合うケースである。「馴れ合い」か「いがみ合い」かのいずれかで、どちらも本来の役割を果たしていない。

 それでも、馴れ合いを続けるよりは、いがみ合いの方がまだマシかもしれない。これまでの流れを変えようとするからこそ、二元の対立が表面化する。いがみ合いが、本来の二元代表制の姿に変わる一過程と考えられなくもないからだ。つまり、「産みの苦しみ」となる可能性である。

 もちろん、いがみ合いがエスカレートし、自治体そのものが壊れてしまったら元も子もない。また、何ものも生み出さないいがみ合いに終始してしまったら、それも虚しいが。

 首長と議会の激しい対立と言えば、阿久根市や名古屋市の事例が記憶に新しい。背景や要因、その後の展開に大きな違いはあるものの、二元の関係が相容れぬものとなり、リコールにまで発展した。

 首長や議会のリコールには、有権者総数の3分1以上の署名が必要となる。その上で住民投票となり、過半数の賛同を得なくては成立しない。ハードルは高く、大変なエネルギーを要する難事業で、簡単に始められる類のものではない。

 そんなリコール運動が、ある地方都市でこれから始められようとしている。地味な、どこにでもあるようなごく普通の地方都市である。