わが国の財政は危殆に瀕している。この20年間で歳出は約200兆円増加したが、そのうち、約150兆円が社会保障関係の費用で占められている。この一事をとっても、社会保障改革が必要なことは誰の目にも明らかだが、改革自体は遅々として進んでいない印象を受ける。

 およそどのような制度・仕組みであれ、抜本的な改革を行う上では、そもそもの原点に立ち戻って考えてみることが、最も有効な方法である。今回は社会保障改革を考える視点について考察してみたい。

自助、共助、公助の関係は
これでいいか

 近代社会では、原則として、全ての市民が社会的・経済的・精神的に自立することが暗黙知として共有されていると考えるが、市民の安心感を醸成し、その社会、経済の安定性を確保する観点から、自助、共助、公助のバランスがほどよく取れている社会が望ましいことは明らかである。

 その場合、言うまでもなく、基軸となるのは自助である。自分のご飯は自分で働いて食べるということが大人になるということであり、市民社会のいわば掟でもある。そして、自分で働くためには、自らの健康管理が何より重要であることは言をまたないであろう。このような自助を、政府が側面支援する場合もある。例えば、貯蓄を奨励する目的で税制を多少優遇する等のケースがその典型であろう。

 自助を補完するものが、生活のリスクを相互に分散して担保する保険制度等であろう。これには、民間企業が担う私保険(生命保険や損害保険)と、公的セクターが担う社会保険(わが国の健康保険制度や年金制度等)がある。わが国では、私保険についても一部政府の側面支援(税制における保険料控除等)が行われているが、社会保険については政府の関与が相当に大きくなっている(社会保険料負担約65%程度に対して税負担が約35%程度)。

 そして、憲法によって定められた市民の生存権を担保する、いわば最後のラストリゾートが公助であろう。即ち、自助や共助では十分に対応しきれない貧困世帯や生活困窮者等に対して、一定の受給要件を定めた上で必要な生活保護を与える仕組みが公助であって、その財源は100%税金となる。なお、公助の分野を寄付やボランティアによって市民が一部担う場合もある。