甲子園球場今回で節目の100回を迎えた夏の高校野球。甲子園でどんなドラマが生まれるか?(Photo:PIXTA)

 今年の夏の甲子園大会は、第100回の記念大会である。史上最多の56校(例年は49校。今大会は記念大会のため参加校数が多く、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の7府県が2校参加)が甲子園球場に集い、様々な催しも企画されている。

 高校生のスポーツの全国大会が100回も続いているというのは、世界的に見ても珍しいのではないだろうか。しかも、全試合がすべて公共放送で生中継され、大会期間中はテレビニュースやスポーツ新聞などでも大きく報道される。

 ところが甲子園大会は最初から大きな大会だったわけではない。第1回大会は今では想像もつかないようなマイナーなイベントだった。

大会に参加できたのは
旧制中学、旧制実業、師範学校

 第1回大会の開催された大正4年(1915年)は今とは学校制度が違っている。

 大会に参加できたのは旧制中学校と旧制実業学校(ともに現在の高校)、それに師範学校(現・学芸大学や教育大学、大学の教育学部)。旧制中学校は、東京や大阪といった都会を除くと県にわずか数校しかないエリート校で、旧制実業学校でも進学率はあまり高くなかった。

 庶民の多くは高等小学校(現・中学2年)を卒業すると働くことが多く、10代半ばになってスポーツに熱中できるのはごく一部の恵まれた人たちであった。また、野球そのものの普及にもかなり地域差があり、野球部のない学校も多かった。

 そもそも、第1回大会が始まった経緯もはっきりしない。諸説あるが、当時無敵と言われた京都二中(現・鳥羽高)OBで、当時京都帝大生(現・京都大学)だった高山義三(後の京都市長)が朝日新聞社に持ち込んだのがきっかけと言われる。

 この他にも全国大会の開催を持ち込んだ人がいると言われ、「朝日新聞社史」では当初から自社企画として中等学校野球の全国大会を企画し、全国中等学校優勝野球大会を開催したとしている。