打ち上げ花火夏本番、夜空に大輪の花を咲かせる打ち上げ花火 Photo:PIXTA

夏本番を迎え、夜空を華やかに彩る花火大会が全国各地で開催されている。大会を支える花火師というと、法被を着たいかつい顔をしたオッサンが、昔ながらの技法を守り手作りで作業する、というイメージはないだろうか。花火師は今も男性が圧倒的に多く、手作業であるのは事実だが、実は花火は毎年のように技術革新が進むテクノロジーアートなのだ。最近の花火事情をご紹介したい。(ジャーナリスト 戸田一法)

徳川家康も見た花火

 文献などによると、花火の歴史は古く、秦の始皇帝時代、万里の長城で通信手段として使われた狼煙(のろし)がルーツとされている。現在のように近代的な花火は14世紀ごろ、イタリアで始まったとされ、キリスト教のお祭りで山車にくくり付けて火花や音を出すシンプルなものだった。

 日本には16世紀ごろ、火縄銃とともに火薬が伝えられたが、観賞用としての花火ではなく戦の合図などとして使われた。現在のように観賞用になるのは江戸時代に入ってからだ。1613年には明の商人が駿府城を訪れ徳川家康に花火を披露したという記録が、1589年にも伊達政宗が米沢城で花火を鑑賞したという記録が残っている。当時は筒から火花が噴き出すドラゴン花火のようなものだったらしい。

 これ以降、諸大名の間で流行し、江戸の墨田川で開催される花火は江戸っ子の楽しみになり、やがて庶民にも広まっていった。

 18世紀初めごろには、毎年夏、水茶屋がスポンサーとなって両国橋付近で花火を打ち上げるようになり、19世紀には「両国川開き花火」として発展。当時活躍した花火師が「玉屋市郎兵衛」や「鍵屋弥兵衛」で、この屋号が打ち上げ花火の掛け声「たまや~」「かぎや~」の由来だ。

 明治時代まではだいだい色しか出せなかったが、アルミニウムやストロンチウムなどさまざまな原料が輸入されるようになり、色彩豊かになった。さらに大正、昭和と新たな原料が増えていき、花火の技術は格段に進歩していった。