当時、検査時に携行することになっていた武器である拳銃に触ったことのある隊員など、幹部を除いてほぼ皆無。また防弾チョッキも積み込まれていない。乗り込めば確実に自衛官は殺される。著者、伊藤祐靖は「みょうこう」の航海長としてこの現場に立ち会い、生きて帰れない任務に直属の部下を送り込む立場に立たされるのだ。

「海上警備行動」が発令された時、隊員たちに動揺が広がる。平成の世の中で、自分が戦死する。そんな事態を想定している自衛官など90年代には皆無に近い。そんな中で、立ち入り検査隊に選抜された伊藤直属の部下が抗議に来る。伊藤は抗議に来た部下に言い放つ。

 “つべこべ言うな。今、日本は国家として意思を示そうとしている。あの船には拉致された日本人がいる可能性が高いんだ。国家はその人を何が何でも取り返そうとしている。だから我々が行く。国家がその意思を発揮する時、誰かが犠牲にならなければならないのなら、それは我々だ。その時のために自衛官の生命は存在する。行ってできることをやってこい。”

 すがるような目つきだった部下はその言葉で「わかりました!いってきます!」と言い放つ。伊藤はこの時、面食らったという。正直、部下に反論して欲しかったのだ。現状では任務達成は不可能だ。この命令は間違っている。当該の部下が「行かせるなら、装備を整え、訓練をしてから行かせるべきだ!」と上司である自分の言葉に反論してくれれば、伊藤は救われる気がしたと、その時の内心を吐露する。

 だが、部下は清々しい表情で自分の死を受け入れてしまった。そして伊藤は自分の人生観、死生観、職業観を部下に押し付けた事を恥じる。それは、半世紀以上前に行われた特攻と同じ事ではないのか。

 と同時に伊藤は、このような任務は彼らには向いていないと思った。確実に訪れる死を受け入れる事で精一杯の彼らは、美しくはあっても、その先にある任務の完遂という目的にまで思考がまわらないのである。死ぬ事を当たり前として受け入れ、なおその先になる任務の完遂を考えられる特殊な死生観を持った連中が世の中には確実にいる。伊藤は確信する。「そういう特殊な人生観の持ち主を選抜し、実施すべき」なのだと。そして自分もそのような類の人間なのだと。

 伊藤祐靖は1964年東京で生まれ、茨城で育つ。中学の頃までは不良少年であったが、高校生の頃に人生観が変わり、陸上部で短距離走競技にのめりこむ。進学先の日本体育大学でも陸上に全力で取り組む。とにかく「本気」で生きる人生を望んでいた。