橘玲の世界投資見聞録 2018年8月30日

2015年までに世界の「絶対的貧困」を半減させるという
野心的なプロジェクトはその後どうなったのか?
[橘玲の世界投資見聞録]

「ミレニアム・ヴィレッジは大失敗」が常識に

 ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクトに選ばれた村ではマラリアの感染率が下がり、出産で死亡する妊婦が減り、子どもたちの教育年数が増えるなど、かなりの成果を達成した。だが当初の5年間を経て、この成長が持続可能かどうかについては大いに疑問があった。プロジェクトの批判派からの辛らつな攻撃だけでなく、アーメドやデイヴィッドなど現地責任者から「資金の流入が止まれば村は崩壊する」との訴えが山のように届いていたからだ。

 こうしてサックスは、当初の計画の修正を余儀なくされた。2011年までの5年間はプロジェクトの「第1フェーズ」で、そこで経済発展に必要なインフラを構築し、2016年までの新たな5年間を「第2フェーズ」として、援助(贈与)ではなく融資(投資)によって野心的な起業家を養成しさまざまなビジネスを軌道に乗せるというのだ。

 だがサックスの奮闘にもかかわらず、第2フェーズの資金集めは順調とはいえなかった。ニナ・ムンクは経験のあるジャーナリストではあるが、開発経済学はまったくの門外漢だった。そんな彼女ですら、プロジェクトは大きな問題を抱えており、そもそもサックスが最初から間違っていたのではないかと疑うようになった。現地とニューヨークの本部との関係は険悪になり、村のなかでも足の引っ張り合いが起こり、サックスの忠実な「信者」だったアーメドは2010年春に解雇されてしまう。「ミレニアム・ヴィレッジは大失敗だ」というのは、援助関係者のあいだでは常識になりつつあった。

 だが私たちは、このプロジェクトの結末を知ることができない。

 2011年夏にアフリカは記録的な干ばつに襲われた。ソマリアの遊牧地は干からび、ラクダは死に絶え、難民たちが国境を越えてケニア側に押し寄せた。難民にはイスラーム原理主義の過激派も混じっており、彼らは白人の援助関係者を殺し、あるいは誘拐して身代金を要求した。ケニアのソマリ地区からは白人はすべて退去し、ムンクもダートゥを二度と訪れることができなくなった。

 同じく、干ばつのためウガンダの政情も混乱をきわめた。首都カンパラにあるミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクトの支部は略奪にあい、デイヴィッドもルヒーラを放棄せざるを得なくなった。

 このようにして、アフリカの「ビッグプッシュ」に投じられた1億2000万ドルの大半(すくなくともダートゥに投資された400~500万ドルの資金のすべて)は失われてしまった。サックスは、「村は次々と災難に見舞われた。ヨブ記のように」と他人事のように評論するだけで、プロジェクト自体は成功しつつあったと強弁しているが、ミレニアム・ヴィレッジと同程度の経済成長は、経済のグローバル化によってアフリカの他の地域でも達成されている。

アフリカ・マダガスカル         (Photo:ⒸAlt Invest Com) 

「“貧困ポルノ”は幕を下ろした」

 サックスが強烈なエゴによって援助関係者からの批判を粉砕し、強引にプロジェクトを進めたとしても、貧困を撲滅するという彼の奮闘がすべて無意味だったということはできない。

 マラリアを媒介する蚊を防ぐための虫よけネットは住友ケミカルが開発したもので、防虫剤を添付することで高い殺虫効果をもっていた。サックスは200万ドル分の虫よけネットを寄贈するよう住友ケミカルを説得したが、これに対して既存の援助関係者から「防虫ネットの市場をつくろうとしてきたこれまでの努力を台無しにする」との強い批判が起きた。

 サックスは、「市場より大切なのはひとびとの生命だ。先進国ではワクチンを無償で接種できるが、これを止めてワクチン市場をつくれというのか」と反論した。かつては市場原理主義的なショック・セラピーの伝道者だったサックスは、こんどは市場原理を否定するようになったのだ。

 中立的な経済学者のなかにも、この論争ではサックスに分があるとする者も多い。「防虫ネットの市場をつくる」という試みも、たいしてうまくいってないからだ。だったら、いますぐただで配ってどんな不利益があるというのか。

 だがこうした数々の論争のなかで、サックスが常に「生命」を盾にとって論敵を非難してきたことは否定できない。ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクトを批判する者は誰であれ、生命より市場(金儲け)を優先しようとしているのだ。

 「死につつあるひとたちを放置するのか、そのためになにかしようとするのか、あなたの選択はふたつにひとつだ」とサックスは繰り返し力説した。だが2011年、干ばつでミレニアム・ヴィレッジが崩壊し、過激派組織や暴徒によって村人たちの生命が危機に瀕したとき、サックスはなにもしなかった。――この批判はきびしすぎるかもしれない。だがニナ・ムンクは、これまでのサックスの主張にのっとれば、このようにいうほかないと書く。天に吐いた唾は自分のところに落ちてくるのだ。

 サックスは、「貧困を終わらせるのは簡単だ」との主張で時代の寵児になった。だがすべてが終わったあと、ムンクとの最後のロング・インタビューで、かつては「世界をよりよいものに変えられる」という確信を抱いていたことについて問われ、こう述懐している。

 「この不確かな世界ですら、ひとは強い確信をもつことができる。ほんとうのところ、それができうる最善のすべてで、私にとっての“確信”とはそういうものだ」

 「それ(ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクト)が最善の最善(the best of the best)であったかどうかを問うことに意味があるとは思わない。それは、私がもっているもののなかで、私にできるベストだった」

 世界金融危機ののち、サックスの関心はアフリカからアメリカの経済格差に移り、「ウォール街を占拠せよ」の集会で強欲を批判し、税制改革、銃規制、ワシントンの空洞化、ユーロ圏の崩壊から地球温暖化問題まで手当たり次第に演説し、寄稿し、tweetしているという。それはまるで、新たに伝道できる「ネタ」を探しているかのようだ。2005年の絶頂期にはサックスを次期アメリカ大統領選の候補者にするという運動も盛り上がったが、その団体もとうに解散された。

 雑誌『エコノミスト』誌は2012年3月、「貧困の終焉」にかけた「ライブエイドの終焉(The End of Live Aid)」という記事を掲載して一連の騒動を総括し、「サックス氏がU2のボーカリスト、ボノなどのセレブととともに繰り広げたロックコンサート風の“貧困ポルノ(poverty porn)”は幕を下ろした」と書いた。

 

 

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は、『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書) 。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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