貧困に殺された九大オーバードクターはなぜ生活保護に頼らなかったか九大・箱崎キャンパスで火災と爆発が発生し、法学部のオーバードクターの遺体が発見された事件からは、1人の人間に誰の助けの手も届かない社会のひずみが見えてくる(写真はイメージです) Photo:PIXTA

誰の助けの手も届かなかった
1人のオーバードクターの死

 9月6日、「福岡市東区の九州大学・箱崎キャンパスで火災と爆発が発生している」というニュースが流れた。焼け跡からは、1人の性別不明の遺体が発見された。

 私の周辺の最初の反応は「化学系の研究室の事故では?」というものだった。しかし、それはあり得ない。九大理学部・工学部は、かつて箱崎キャンパスに存在したが、数年前、福岡市西区の伊都キャンパスに移転していた。

 続く反応は「活動家?」だった。伝統ある大学では、かつて大学に在籍していた学生運動家が数十年後も大学に出入りしていることは、珍しいことではない。賛否両論あるところではあるし、私自身、大学に居座っている元学生運動家は最も苦手な人種の一類型だ。とはいえ、大学の自治や学問の自由を尊重するのなら、一定の「緩さ」とそこからもたらされるリスクはつきものだろう。

 数日後、遺体は法学部のオーバードクターだったという事実が判明した。男性で、46歳だった。以下、本記事では男性を「Aさん」とする。

 まずは報道と独自調査から、現在のところ判明しているAさんの経歴をたどってみたい。九大大学院進学までの足取りは、次のとおりだ。

・1972年生まれと推測される。「出身地は関西」という情報もある。

・1988年、中学を卒業し、横須賀市の陸上自衛隊少年工科学校(当時)に進学。同時に自衛隊に入隊。少年工科学校では高校卒業資格が得られないため、湘南高校通信制課程にも入学。

・1991年、少年工科学校・湘南高校通信制課程の高校相当課程を修了し、自衛隊を退官。

・九大法学部に入学し(年次不明)、憲法を専攻。

 少年工科学校に入学すると、自衛隊員(特別国家公務員)となる。全寮制で、生活費は必要ない。元同期生・Bさんは「月あたり10万7600円の俸給があったので、浪費していなければ、卒業時に300万円程度の貯金はあったはず」という。Bさんから見た少年工科学校時代のAさんは、「人1倍の努力家」「真面目に勉強していた」ということだ。