橘玲の世界投資見聞録 2018年11月16日

ヨーロッパだけでなくアメリカにも賛同者がいる
ホロコースト否定論の根拠とは?
[橘玲の世界投資見聞録]

大きなマーケットがあることに気づいたことで主張が過激化

 リップシュタットによると、最初期の否定論者はポール・ラシニエというフランス人で、早くも1948年に『一線を越えて』という本で、「収容所からのサバイバーの証言は信用できない」と書いた。なぜこのようにいえるかというと、ラシニエ自身が収容所を体験していたからだ。

 16歳で共産党員になり、その後離党して社会主義政党に入っていたラシニエは、戦争が始まるとレジスタンス運動に加わり、逮捕されブーヘンヴァルト強制収容所に送られた。解放とともにフランスへ戻り、社会党から立候補して1年だけ議員生活を送ったのち、著作活動に入った。著書の多くはナチス擁護論で、「残虐行為は大きな誇張であり、その罪をナチスに着せるのは不公平」という主旨のものだという。

 この当時は(労働を目的とした)強制収容所と、(抹殺を目的とした)絶滅収容所の区別はついておらず、ラシニエが送られたドイツ国内(ヴァイマール近郊)にあるブーヘンヴァルト強制収容所にガス室はなかった。だがブーヘンヴァルト収容所も環境は劣悪で、総計23万3800人の収容者のうち5万5000人が飢えや病気のために死亡したとされている。そんな体験をしたからこそ、アウシュヴィッツのサバイバーの証言が「嘘」としか思えなかったのかもしれない。

 レジスタンスの闘士であり、強制収容所の生還者で、戦後は国会議員にもなったラシニエの主張は徐々に大きな影響力をもつようになり、やがて「ホロコースト否定説の父」と呼ばれるようになる。1960年代にはアメリカのホロコースト否認派と交友をもつようになり、77年に主要著作を1冊にまとめた『ジェノサイド神話をあばく』がアメリカで出版されている(ラシニエ本人は67年没)。

 ラシニエは、「生き残りの証言は誇張」であり、「収容所内で残虐行為をやったのはSSではなく、運営を任せられた収容者」だったと主張した。「数字に関して、目撃者と称する連中は、とうていあり得ぬことを言ったり書いたりしている。殺害手段の道具についても然りである」としてガスによる殺害に疑問を呈し、後年はガス室の存在そのものを完全に否定するようになった。

 ここにはすでにホロコースト否定論の要素が出そろっているが、ラシニエの主張がすべて間違っているというわけではない。当初、「アウシュヴィッツでは400万人のユダヤ人がガス殺された」といわれていたが、これは明らかに過大で、いまでは約120万人に訂正されている。生存者のなかには、ありもしないことを述べたてた者もいただろうし、収容所の極限状況のなかでは同房の者たちが弱い者を搾取して生き延びようとしたことは、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)やプリーモ・レーヴィの『これが人間か』(朝日選書)などにも書かれている。

 リップシュタットは、ホロコースト否定の背景には反ユダヤ主義があるとしており、たしかにそうかもしれないが、たんなる正義感(私は収容所を体験したが、ユダヤ人の生存者が語っているのはウソばかりだ)からでも、ラシニエの否定説は生まれるのではないか。その後、主張が過激化していったのは、著述家として生きていくことに決めたラシニエが、そこに大きなマーケットがあることに気がついたからだろう。ホロコーストを否定すると、ヨーロッパだけでなくアメリカからも、熱烈なファンが現われるのだから。

 当たり前の話だが、著述業のビジネスは読者がいないと成立しない。本が売れるということは、たんに収入が増えるだけでなく、著者にとっては自己実現でもある。フランス人のラシニエやイギリス人のアーヴィングがホロコースト否定へと過激化していったのは、これで(ある程度)説明できるのではないだろうか。

 読者の期待にこたえようとするなかで、ホロコーストの嘘を暴く作業は、必然的に反ユダヤ主義へと落ち込んでいく。ラシニエはやがて、「ユダヤ人は不誠実であり、彼らが公式、非公式に所属するユダヤ系組織も、いかがわしい。その裏にあるのはユダヤの伝統的な悪であり、金銭欲が支配している」と主張するようになった。

 

アメリカの「第一次大戦修正主義」とは?

 第二次世界大戦後のフランスのホロコースト否定論が元レジスタンスの強制収容所体験から生まれたとすれば、アメリカでは第一次世界大戦の開戦の経緯をめぐるまっとうな歴史論争がホロコースト否定へとつながっていく。

 1919年1月に開会されたパリ講和会議では、第一次世界大戦の戦争責任は敗戦国であるドイツとオーストリア=ハンガリー帝国にあるとして、巨額の賠償や帝国の解体が課せられた。だが早くも1920年に、アメリカの歴史家シドニー・フェイがこれ異を唱え、大戦後に公開された資料を駆使して、アメリカで通説になっていたドイツ主戦論とは反対に、「ドイツに開戦の意志はなかった」と主張した。「大戦前夜、平和のための努力を最後まで放棄しなかったのは、ヨーロッパの指導者のなかではドイツの政治家であり、すべての選択肢がなくなってはじめて、軍の動員を開始した」というのだ。

 これがアメリカの「第一次大戦修正主義」で、その先頭に立ったのが新進気鋭の歴史家ハリー・バーンズだった。バーンズらはドイツを免罪しただけでなく、アメリカを戦争に引きずりこむために謀略を使ったとして英仏を断罪したが、これは荒唐無稽な批判ではなかった。

 実際に、イギリスは非戦闘員に対するドイツの残虐行為なるものをでっちあげてさかんに宣伝した。ドイツ人が毒ガスを使って非戦闘員を虐殺しているとか、幼児を射撃練習の的にしているとか、ベルギー人女性の手足を切断して遊んでいるというつくり話がアメリカで大きく報じられ、国民感情を煽った(この宣伝があまりに成功したため、アメリカに宣伝産業が生まれたという)。

 20年後、ナチス・ドイツがガスでユダヤ人を殺しているという話がメディアに報じられたとき、アメリカ国民が容易に信じなかった理由のひとつは、第一次大戦中の残虐行為のでっちあげの記憶が残っていたからだとリップシュタットはいう。

 第一次世界大戦の歴史修正主義がアメリカで大きな成功を収めたのは、それが史料にもとづくまっとうな歴史論争だったからだが、それ以上に「修正主義者」がウッドロウ・ウィルソン大統領を批判したことが大きかった。ウィルソンは民主党出身の大統領だが、当時のアメリカは現在のように保守とリベラルで分断されていたのではなく、孤立派(モンロー主義)と国際派が対立していた。孤立派は、アメリカがヨーロッパの戦争に巻き込まれたのは大失策で、巨額の戦費と多数の死傷者の代償として得るものはなにもなかったと主張した。そんな彼らにとって、第一次世界大戦は英仏の「陰謀」で、それをウィルソンが利用してアメリカ国民をだましたのだという「修正主義」は、自分たちの思いを見事に代弁してくれたのだ。

 この構図が第二次世界大戦にも引き継がれたことで、アメリカ型のホロコースト否認が誕生したのだとリップシュタットは分析する。

アメリカのホロコースト否認は、孤立派=反共主義者によるルーズベルト批判と
ドイツ系アメリカ人の民族主義が共鳴してうまれた

 多大の犠牲を出しながらも第二次世界大戦が連合国の勝利に終わったあと、バーンズなどアメリカの「修正主義者」は、これは第一次世界大戦の完全な焼き直しだと考えた。なぜなら、英米仏とドイツが戦争をする構図も、民主党出身のフランクリン・ルーズベルトが孤立派の反対を押し切って参戦したのも、すべて同じ出来事を再現しているだけだから。

 しかしそうなると、開戦責任がナチス・ドイツ=ヒトラーにあるのでは辻褄が合わない。ナチス=絶対悪という通説は修正されなくてはならないし、残虐行為にしても、「ドレスデンの空襲で連合国は同じことをやった」と相対化されなくてはならない。これはまさしく、リップシュタットを訴えたアーヴィングの歴史観そのものだ。

 ナチスが絶対悪でないならば、ホロコーストもきわめて不都合になる。それは戦時下における不幸な出来事だったとしても、特定の民族を絶滅させようとして何百万人も殺戮する途方もないものであってはならないのだ。こうして「修正主義者」にとって、アウシュヴィッツは日系アメリカ人の強制収容と同じものになる。

 より興味深いのはアメリカが参戦した理由で、修正主義者は、第一次世界大戦では、民主党のウィルソン大統領がイギリスの宣伝(でっちあげ)を利用してアメリカ国民を戦争に引きずり込んだと考えた。だとしたら第二次世界大戦でも、同じ民主党のルーズベルト大統領が同じ手を使わないはずはない。

 このようにして、「ルーズベルトは真珠湾攻撃を知っていた」という謀略説が登場する。日本にもこうした主張をするひとがたくさんいるが、アメリカでは戦後すぐに『シカゴ・トリビューン』紙が「日本の攻撃を知っていながら放置したことで数千人のアメリカ兵の生命を犠牲にした」とルーズベルトを批判し、ジャーナリスト、平和主義者、孤立派の政治家や評論家などがこれに同調した。――ちなみに近年のアメリカの歴史学では、この「ルーズベルト謀略説」はさまざまな資料から否定されている(クレイグ・ネルソン『パール・ハーバー』白水社)。

 アメリカの孤立派は保守主義者でもあり、彼らにとっての最大の敵は共産主義だった。ルーズベルトが許しがたいのは、アメリカを無用な戦争に引きずり込んだだけでなく、第二次世界大戦が共産主義者を利することになったからだ。戦前は、中央ヨーロッパや東ヨーロッパは中立地帯だったが、いまやそこはソ連の支配下に収まっている。「アメリカは戦争に勝利し、リベラルデモクラシーを守った」などというのは大嘘で、現実には共産主義に敗北したのだ……。

 リップシュタットによれば、アメリカに特異なホロコースト否認は、孤立派=反共主義者によるルーズベルト批判と、ドイツ系アメリカ人の民族主義が共鳴して生まれたものだ。どちらの側にとっても、「ホロコーストは極端に誇張されており、ガス室はなかった」ほうが都合がよかったのだから。

 その後、アメリカのホロコースト否認派はIHR(The Institute for Historical Review/歴史見直し協会)を中心に極右団体を集結させ、過激な反ユダヤ主義を唱えるようになる。第一次世界大戦の歴史修正主義者で、攻撃的なホロコースト否認論者に転身した歴史学者のハリー・バーンズをはじめとして、イギリス人のデイヴィッド・アーヴィング(歴史家)、フランス人のロベール・フォーリンソン(リヨン大学元文学部教授)、ドイツ人のエルンスト・ツンデル(出版業者)、アウシュヴィツのガス室を「検証」したフレッド・ロイヒター(アメリカの刑務所に処刑施設を販売する業者だが、化学の専門教育はまったく受けていなかった)など著名なホロコースト否認論者はすべてIHRと関係している。もちろん、これが商業主義(確実なマーケット)と結びついていることはいうまでもない。

 否認派のより詳しい系譜はリップシュタットの『ホロコーストの真実』を読んでほしいが、私の感想は、「西欧における反ユダヤ主義には数千年の歴史があり、私たち日本人にはうまく想像できない」というものだ。もっとも、外国人には同じように、日本の書店になぜこれほど「嫌韓」「反中」本が溢れるのかも理解しがたいかもしれないが。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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