企業再生の要諦は、損失の分担である。

 思惑入り乱れる数多くの債権者と株主に、再生計画が信頼に足るものだと説得し、応分の損失負担を受け入れさせなければならない。冷徹な論理を貫徹し、時には腕力を振るってでも――。

 日航問題において、その難しい役どころに民主党政権は徹しきれないでいる。債権放棄に加えて新規融資にまで応じれば貸し手責任を問われかねないと、政策投資銀行とその背後にいる財務省は、受け入れを拒否した。深い行政責任を負うはずの国交省は、表舞台から逃避した。当事者意識を欠く霞ヶ関の行動様式を制御できないままに、前原・国交省は解決を先送りした。

 最大の難関となった企業年金の削減問題では、厚い法的保護の壁を特別立法でこじ開けようとしている。強行突破は、年金という財産権の保護を巡って、世論を二分するだろう。民主党政権は日航問題の位置づけに苦心し、揺れ動く。

 斉藤誠・一橋大学教授は、「民主党政権は、日航問題の処理スキームが日本経済停滞の解決モデルになりうることに気がついていない」と指摘する。「企業年金問題も世代間の再配分モデルを提示できれば、社会問題に援用できる」と強調し、「砂上の楼閣にしかなりえない成長戦略を描くより、よほど重要だ」と言う。

 “成長戦略なき鳩山政権”という批判が定着しつつある。

 経済を成長させ、国全体の冨のパイを拡大し、人々に満遍なく利益を得る手段を増やし、さまざまなる人生への挑戦の機会を増大させることは、確かに、政治の重要な役割であろう。

 だが、政治に求められる最も重要な機能は、時代によって変わる。あるいは、政権に就いたからといって、その能力を存分に発揮したとしても、できることとできないことがある。無理をすることで、かえって冨を失う結果になってしまうこともある。