後日、奥さんが私に向かってこう言ったのです。
「あの日ね、あなたに言われて、私も”ありがとう”って言ってなかったことに気づいたのよ。
 だから私、『ありがとう』って主人に伝えたの。そしたらね……」

 ケンイチさんは、奥さんの帰り際に、ぼそっと言ってくれたそうです。

「ありがとう……」

 奥さんは、泣き笑いとでも言えばいいのか、涙と笑顔の入り交じった表情で続けます。
「それが、あの人の最後の言葉になった。おかげでね、私の主人がこの人で本当によかったって思って見送ることができたわ……」

 奥さんは、ケンイチさんと結婚して、幸せだったそうです。
 でも、ケンイチさんが、自分と結婚して本当によかったと思っているのか、幸せと感じているのか、長年不安でもありました。
「だって、感謝の言葉も、ねぎらいの言葉もなかったから……」
 それが最後の最後、ケンイチさんがぼそっと発した「ありがとう」のひと言で、長年のわだかまりがすべて消えたというのです。
 ケンイチさんから「幸せだったよ」と言われた気がしたそうです。

「お父さんが、お母さんに『ありがとう』なんて言うの、初めて聞いた!」
 その場に居合わせた娘さんも、びっくりしていました。

「ありがとう」
 このたったひと言に、ケンイチさんは、どれほどの思いを込めていたのでしょうか。

 そのひと言は、それまでのわだかまりを癒し、最後にこれでよかったと思わせてくれた、魔法の言葉でした。
 ケンイチさんは「ありがとう」と言うことで死を受け入れ、それを感じ取った家族も死を受け入れることができたのかもしれません。
「ありがとう」で、それまでの家族の関係性が癒されたのだと感じました。

「脳は主語を認識しない」といわれています。
「ありがとう」と言うと、脳はその言葉が自分に向かって言われたように認識するそうです。
 ですから言った人のほうも、「ありがとう」と言われたときと同様に、穏やかな感謝する気持ちになれるのです。
 すると、今度は言われた人のほうも、自分の気持ちを素直に表現する勇気を身につけることができるといいます。

 何十年も「ありがとう」と言ったことがないケンイチさんが、最後の最後に
「ありがとう」
 と言えたのには、こんな脳の仕組みが働いていたのかもしれませんね。

 だからこそ、逝くほうも送るほうも、何ひとつ悔いのない最期を迎えることができたのです。