最善を期待しながら、最悪に備える

後閑:西先生は『「残された時間」を告げるとき』という余命宣告の本を出されていますよね。余命や予後(病気や治療などの医学的な経過についての見通し)を医師が伝える時にはどんな気持ちで、また、伝えられたことに対して家族は医師にどうアプローチすればいいかなどということがあれば教えてください。

西:患者さんから余命を聞かれた時は、「それをなぜ知りたいのか」ということを僕は必ず聞くようにしています。「なぜ今、余命を知りたいのか」という理由をちゃんと自分の中で落とし込んでから聞いてほしいと思います。不安な気持ちが高まるあまりに、ついポロッと聞いてしまったのだとしたら、僕たちも不安を高めるようなことはお話しできません。ですから、場合によってはわかりませんとしか言えないし、あえて言わない、ということもあります。たとえば、「あと何ヵ月でわが子が小学校に入るので、入学式に出られるかを知りたい」「いついつに旅行を計画しているから」「とりあえず準備するための目安として知っておきたい」といった聞きたい理由がわかると僕たちも言いやすいです。

後閑:なるほど。家族や本人が、知りたい理由が定まってから医師に聞いたほうがいいということですね。

西:何となくでもいいですけどね。そうすると、余命の話だけでなく、何が心配で何を大切に思って生きていらして、これからの時間をどう使っていきたいと思っているのかに発展していけるんです。余命の話を聞きたいと思うその動機がすごく大事で、医師はそれを聞きたい。けれど実際には、余命の話をする僕たち医師のほうが話すことに慣れていないので、聞いたことで本人や家族がかえって傷つくというリスクもあります。まずは信頼できる看護師に、医師にこういうことを聞いてみたいと思うが、どう思いますか? と相談してみるといいと思います。そうしたら、こう話すといいんじゃないですかとか、あの先生はこういう話は苦手だから、みたいなことを教えてくれると思うんですよね。そうしたら傷つくリスクは下がります。

後閑:いきなり医師に意見を求めるんじゃなくて、いったん看護師に相談してから医師に聞くんですね。

西:そうしたら看護師から医師に、「あの患者さんがこういうことを気にされているようですけど、今度の診察の時に聞いてもらってもいいですか」と言ってくれたら準備もできるし、こちらもやっぱり患者さんから急に聞かれると、びっくりするんですよね。だから、事前に看護師と話しておくというのはすごくいいことじゃないかな。

後閑:医師からお母さんの余命宣告をされた家族がいたんです。その家族は、面談の時には娘さんが前に出てきて、お父さんはあまり話さないんです。それで娘さんに、「今、何が不安ですか」と聞いたら、「私はお母さんを苦しめたくないから、自然に枯れるように亡くなっていくのを見守っていきたいけど、お父さんがどう思っているのかわからない。それを言うこともできないし、聞くこともできない」と言うんです。でも、面談では娘さんしかしゃべらないので医師も娘さんとしか会話しないし、お父さんは「娘の言う通りに」としか言わない。それを医師に話したら、次の面談から医師がお父さんに聞くようになったんです。だから、間に入った看護師がそういう調整をするって大事だなって、今、お聞きしながら思い出しました。

西:家族がなぜそれを聞きたいのか、どういう気持ちなのか、が先走っちゃって、それは本人が聞きたいことなのか、あなたが聞きたいことなのか、本人がそうしてほしいと思っているのか、あなたが本人にそうしてほしいと思っていることなのか、って聞くと、そういえばってなりますね。家族は余命を聞きたがってるけど、本人はそうは思っていないこともあります。そういう調整をまず看護師がしてから医師に言ったほうが、コミュニケーションのエラーが少なくなるんじゃないかと思うんですよ。

後閑:西先生の本にある「最善を期待しながら、最悪に備える」って、確かにそうだなって思います。もちろん、もっと生きていてほしいとか、こういう希望があるということもあるんでしょうけど、やっぱり最期になってドタバタするご家族が結構いらっしゃるので、準備しておくのは大事だなと思いました。

西:そもそも緩和ケアというもの自体が、最悪を想定しながら準備していく医療なんですよ。災害に備えて水や食料を備蓄しておくのと同じ。そのうえで、がんが少しでもよくなる、少し寿命が延びるということを期待しながらやっていきましょう、って話をします。準備と期待は分けて考えましょう、とお話ししています。

後閑:具合が悪くなって痛くなってから緩和ケアに行く人や、「緩和ケアを紹介されちゃった、もう終わりかよ」と思う人もいるので、世間の思い込みには私たち医療者とギャップがあるように思うんですよね。

西:知っておいてほしいこととしては、本当にギリギリになって痛い苦しい、となってから緩和ケアに来られると、医師は痛い苦しいをとりあえず何とかしないといけなくなる。その人がどう生きてきたとか、あなたは何を大事に生きていきたいですか、ということを聞いてる場合じゃなくなる。もっと症状が出る前から関わっていれば、いざ症状が出てきた時に冷静に話ができるようになります。「お父さんはなるべく家で過ごしたい、って以前おっしゃってましたから最期まで家で過ごせるように考えましょうか」と言うと、家族も「そうですね」となったりします。「やっぱり気持ちが変わって入院のほうがいいです」と言われれば、じゃあそうしましょう、となるものですが、初対面の患者さんに、ただ痛い苦しいと言われたら、それを取り除くだけになってしまいますから、お互いあまりいいことがない。緩和ケアは早めに使ってもらうことが大事で、緩和ケアに来たらおしまい、ということじゃないんです、とは伝えたいです。人生をよりよく生きるために必要な備えだという認識でいてほしいと思います。