取引業界の激変は、時に企業の死にも直結する大変化。かつて、黒電話の時代にNTTと取引をしていた電線メーカー・金子コードも瀕死の大打撃を受けたが、その後、ユニークな経営方針が当たり、アッと驚くような新規事業も作り出すことに成功した。同社がいかにして変化に対応できたかをレポートする。

黒電話の時代が終わって
売上高は急降下

電線メーカー・金子コードが乗り出したのは、チョウザメ養殖とキャビア生産だった電線メーカーがまさかのチョウザメ養殖に参入。しかし、そこには3代目社長の綿密な計画と先見の明があった

 1つの事業を永続させるのは難しい。時代により求められるものやサービスが変化するからだ。ダーウィンが進化論で唱えた「生き残れるのは変化に対応できる者」という言葉は、ビジネスにも当てはまる。

 私たち自身を振り返っても、20年前と現代では人々が求めるものやサービスは違うのではないか?

 今回注目したいのは、1932年創業の老舗企業・金子コード(東京都大田区)だ。元々はケーブルや電線のメーカー。1962年から電電公社(現NTT)に電話線を納入し、1985年までは右肩上がりで業績を伸ばしていた。

 しかしNTT民営化の後、電話機の製造販売が家電メーカーに移行していったのをきっかけに、売り上げは急降下してしまった。

 初代から会社を引き継いだ2代目はモジュラーケーブルの開発生産へと手を打ってみたものの、「電線だけでは難しい」と判断。1988年からケーブル技術を応用して高度医療を支えるカテーテル用チューブの開発に取り掛かった。

 当初は猛烈な社内反発があった。最初の設備投資だけでも4000万~5000万円がかかり、赤字を垂れ流す日々だ。「遊んでいるだけの部署」「お荷物部署」など罵声も聞こえてくる。しかし10年の歳月をかけて医療機器部門は黒字化に成功したのだ。