「竹槍ではB29を撃墜できない」と言った者と現代日本 

 竹槍戦術の練習は、現代の日本人には信じがたい戦争中の出来事の一つでしょう。敗戦直前には、上陸する米兵(人形)を婦人が竹槍で刺し殺す訓練までありました。

 さらに一部には、竹槍でB29爆撃機を撃墜するポーズの練習まであったのです。B29は米軍の開発した長距離戦略爆撃機であり、竹槍で落とすなど不可能です。ライフルを持つ米兵を、婦人や子どもが竹槍で殺傷することも、できるはずもありません。

『「空気」の研究』の第2章では、「竹槍で醸成された空気」という言葉が出てきます。勇気ある一人の人が「それはB29にとどかない」と言ったと山本氏は述べています。

「それはB29に届かない」との指摘は、現実を土台とした前提という意味でまさに「水」です。現実的な前提である「水」を差されたとき、戦時中の日本ではどうなったか。

 そのような指摘をする者を“非国民”だと糾弾し、物理的な現実を無視させ続けたのです。

 本人がそれを正しい意味の軍国主義(ミリタリズム)の立場から口にしても、その行為は非国民とされて不思議でないわけである。これは舞台の女形を指さして「男だ、男だ」と言うようなものだから、劇場の外へ退席させざるを得ない(*4)。

 ウソを集団に共有させて、現実を指摘した者を、弾圧するか村八分にして孤立させる。虚構の共有は、舞台のような芸術分野であれば、趣味趣向として意味を持ちます。しかし高度1万メートルを飛ぶ爆撃機は、人間を殺す爆弾の雨を降らせます。

 にもかかわらず、共同体の情況(物の見方)に現実を投げかけた者を“非国民”と呼びました。物理的に間違っていることを認めたら、虚構がすべて崩壊してしまうからです。

(注)
*4 『「空気」の研究』P.170~171