つまり、この議論は初めから「一方通行」なのだ。女性側は主張できても、男性側が主張するとたちどころに否定されてしまうように思えるし、男性にとっては反論できない議論を吹っかけられているようなバツの悪さがある。

 言い換えれば、「女性の美しさには商品価値があって、男性にはない」「男性が美の対価を女性に求めることは間違っている」という社会的な固定観念の下で語られている主張にもかかわらず、「で、男の子たちよ、君たちは、一体いくらかかっているの?」と問われても、「たくさんのお金がかかっていたら、その代わりにおごってくれるんかい!」とツッコミたくなるのは、筆者だけではないはずだ。

 もし、女性が美容費をデート代というかたちで負担してくれるなら、筆者もメンズエステに行ってみたいと思う。イケメンになれるかもしれないし、こんなに良いことはない。

 要するに、筆者が気になっているのは、その非対称性である。もともとの議論は、「女性は美容費がかかっている」「男性は美容費がかかっていない」ということだったはずなのだが、結局は「女性だから」「男性だから」という結論に落とし込まれてしまいそうな気がするのだ。

それを言ったらおしまいでは――。
なぜこんなことを主張してしまうのか

 さらに、彼女は「本当は邪魔なだけのやたら大きなキーホルダー、『スタバなう』とつぶやいて女子力をアピールするためのスタバ代、カメラ女子を装うためのミラーレス一眼とか、あとはモテ本、美容本、婚活本」と、他にも女性にはお金がかかると主張している。

 さすがにスタバ代くらいは自分で払ってもらいたいが、それを言うなら男性だって女性にモテるために色々努力していることを忘れないで欲しい。

 知識を深めるために本だって読むし、女性とデートするために車を購入した男性だっているかもしれない。しかし、それらの負担を女性に求めるような男性は、まずいないだろう。