無許可の鮮魚ブローカーで
一山当てて『大漁』をオープン

 数年間『オークラ』に勤務した後、丁は大きなチャンスをつかんだ。日本料理の世界で仕事をする中で、福建省アモイでカンパチやタイなど日本向けの魚を養殖していた業者と懇意になり、ひらめいたのだという。

クリスマスに歌舞伎町のスナックで盛り上がる丁さんクリスマスに歌舞伎町のスナックで盛り上がる丁さん

「アモイの業者から生きた魚を買って、上海など大都市の料理店に売ればめちゃ儲かるなって思ったの」

 90年代半ばのことだ。当時、生きた魚を扱う料理店はまだまだ少なかったが、経済成長とともに人気を集めつつあった。近い将来、豊かになった中国人たちは、必ずマグロやタイといった魚を刺し身や寿司で食べるようになるはずだ。そう思った丁はホテルを辞めると、“鮮魚ブローカー”に転身。もちろん無許可だ。

「アモイから空輸で上海に魚を持ってきて、自転車に積んで上海中の料理店を回って売ったんです。原価の3倍、4倍の値段で売れまくったよ。悪いお金(笑)。でも、めちゃくちゃ儲かったし、店には感謝された」

 ブローカー生活わずか1年。このとき稼いだカネが『大漁」オープンの原資になったのである。

 次回、丁の上海の豪邸に場を移し、生き馬の目を抜く大都会・90年代の上海の街でいかに店舗を拡大し、全国に展開していったのか、その壮絶なヒストリーを語ってもらう。(敬称略)

>>続編『中国最大の和食チェーン会長、大豪邸住まいでも暮らしぶりは質素な理由』を読む