◆ビジネスモデルが陳腐化したときの分かれ道
◇世代交代に失敗し、老舗が力尽きる

 どんなに優れたビジネスモデルでも、時代とともに陳腐化していく。そんなときに後継者がイノベーションを起こせるかどうかで、企業の明暗は分かれる。

 高額宝飾品の輸入販売会社として、高い知名度を誇っていた平和堂貿易。同社の売上高は、1990年代前半には120億円以上であった。だが、2015年9月期には約11億円と、10分の1にまでに売上が縮小していた。

 創業当初は「舶来品」にいち早く注目。海外高級腕時計の販売代理店契約を結び、百貨店テナントに卸販売をするというモデルで、業績を伸ばした。欧米ブランド信仰が強い消費者から支持を集め、自社名をセットにして売り出すことによって、会社の知名度を高めていった。

 しかし、高額商品の市場が縮み、欧米高級ブランドが日本法人を設立するようになると、売上が減少傾向へ。くわえて、社員の引き抜きが相次いだ。百貨店頼みではダメだとわかっていても、従来の売り方を変えられない。財務体質の改革も遅きに失した。次の方向性を見つけられないまま、同社は自己破産に陥ってしまった。

◇起死回生を狙った一手が致命傷に

 ビジネスモデルを変えるために狙った起死回生の一手が、ときに倒産の引き金になることがある。それを示すのが、切り餅の製造を主力としていた東京もちだ。同社は、冬場には切り餅、切り餅の売上が落ちる夏場にはフルーツゼリーを製造し、着実に事業を拡大していた。

 しかし、大手企業は早くから大袋に入った切り餅を個包装にし、米どころ新潟産のもち米を原料にしていることを打ち出していた。同社は商品開発力で大手企業に押され、業績が徐々に下降していった。東京もちの切り餅は個包装ではなく、原料も外国産のもち米などを粉末にしたもち粉を使用していた。

 危機感を抱いた当時の社長は、年商の約1.5倍に当たる約9億円を借り入れ、個包装の切り餅を作る新工場を開設した。しかし、販路を開拓できず、想定を下回る注文しか得られなかった。また、同時期に銀行からすすめられた金融派生商品に手を出し、巨額の損失を出すことになる。追い討ちをかけるように、跡取りであった社長の長男が不慮の事故で他界した。こうして、新工場に伴う借入金返済に資金繰りが追いつかず、破産申告に至った。

 トップが数字に弱かったことが、過大な設備投資と金融商品による損失を招いてしまったといえよう。