麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく新連載。第2回は、末席がビジネススクールで登壇、デフレがビジネスに及ぼす影響について、講義をします。

MBAスクールでの講演依頼

「…そうですか、では、うちの主任の嶋野でどうぞよろしくお願いいたします」

 電話を置いたマネジャーは、やれやれ、という表情でため息をついた。そして、こういうときは、必ず猫なで声で僕に近づいてくる。

「あれ、そこにいるのはウチのエースの末席さんじゃないか」

 まるでコントかと思うくらいの定番的な展開に、嫌な予感を覚えつつも、マネジャーの次のせりふを予測して、自分から言ってみる。

「じつは…、なんでしょうか?」

「いやー、話が早い。じつは、講義依頼の催促があってね、ぜひ出張講演してほしいんだ。例の…」

「あ、千代田リーグの他流試合の件ですね」

 千代田リーグとは、東京千代田区にあるMBAスクール4校の俗称で、アメリカの東部の蔦のからまるような伝統校*1にちなんで呼び慣らわされるようになった。同名のサッカー同好会にも所属している末席は内心、この名前がいつも紛らわしいと思っているのだが、顔には出さない。

*1 Ivy League. 現在は8校だが、当初は4校(コロンビア、プリンストン、ラトガース、イェール)

「でもそれ、主任が出るのでは?」

「そうなんだけどさ、まあ、ほら」

「代わりに出ろ、と?」

「いやー、ありがとう、快諾してくれて」

 末席が正式に受諾する前に、今度はマネジャーが末席の返事を先回りして言った。言い方は丁寧であるのだが、つまり末席には断るという選択肢が「あらかじめ、ない」のだ。オプションを提案しているようでいて、じつはそうではないということは、MBA流の交渉術を読むまでもなく、世の中にはよくあることだ。

 講演は1週間後なのだが、基本的に主任は、よそのスクールに行くことをあまり好まない。依頼側は当然、集客のことを考えるので、看板研究員である主任に講義をお願いする。ご近所づきあい上のリスクもあり、マネジャーはそのオファーを無碍にはできない。というわけで、この手の話は僕のところに辿りつく。末席にとっては、外に行くのは嫌いではない質なので、多少プライドが傷つくことに目をつぶれば、基本的には嫌な話ではない。この世の中、需要と供給のプロセスはシンプルではなかったりするが、落ち着くところには落ち着くものだ*2。…と、まあ、少なくとも僕はそう納得しようとしている。

*2 cf.「すべての商品は貨幣に恋をする。しかし、その恋路は滑らかではない」(『資本論』カール・マルクス/著)

「くれぐれも、主任が急に体調が悪くなったので、との、おことわりをいれといてね」

 1週間後の主任のスケジュール・ボードに「急病」と几帳面に書き入れたマネジャーは、すでに猫なで声ではなくなっていた。