高校卒業後、専門学校を経て、電子測定器を製造する会社に入社。「経営というものを実地で学ぶため」である。入社から数ヵ月後、社長に一つのアイデアを伝える機会を得る。製品のツマミをもっと使いやすい素材・デザインにするというものだったが、即刻採用されて担当者に任じられた。さらにこれをきっかけに、全製品のデザイン変更から、広告宣伝、営業方法の改革まで提案、すべて採用された。

 入社1年にも満たない若者にこれらが任され、社員の協力も得たことには理由があった。入社後、石井は「何の知識もない自分が、会社にどんな貢献をできるのか」と悩んだ。そして実行したのが、早朝に出社して会社の掃除をすることである。やがてこれは社員の知るところとなり、社長の耳にも入っていた。この早朝の掃除で、社長や社員の信頼を勝ち取ったのである。

 しかし、3年もすると「やるべきことはやり尽くした」。会社への恩義は重く感じていたが、起業のための資金も稼がねばならなかった。引き留める社長をやっとの思いで説得して辞職、次に入ったのは保険会社である。ふと足を止めた書店で吸い込まれるように手に取った一冊の本、フランク・ベトガー著『私はどうして販売外交に成功したか』がきっかけだった。飛び込みで人事担当者に談判、熱意で採用を勝ち取り、代理店営業による新しいセールスを考えていた支社長の下で薫陶を受けることになる。自らも努力と工夫を重ねた結果、何と4ヵ月目には全国1万4000人の営業員中8位という成績を挙げる凄腕営業マンとなった。

会社の窮地を救った起死回生のミキサー
工場から引き合い殺到

 8年後、資金もたまっていよいよ自らの会社を立ち上げた。技術者だった弟(現シンキー技術顧問)のアイデアで、当時最先端の電子回路を使ったパチンコ店用の玉の計数機を開発、好評を博したのをスタートに、電子回路ユニット、磁気ヘッドの検査システム、高性能かつ安価なデジタルメーターと、時代に合わせて主力製品を転換しつつ、成長を遂げてきた。