投資と投機の違いは、利益の源泉がどこか、という点にあります。投資に向いている人もいれば、投機に才能を発揮する人もいる。「善悪」ではなく、性質の違いを正しく知っておくべきである Photo:PIXTA

「投資」と「投機」の
違いは善悪ではない

「投資」の考え方についてはさまざまな立場の人が発言しているが、その中でよく出てくる考え方に「投資は社会の役に立つ、とてもいいことだけど、投機は単にお金を転がすマネーゲームだから決して好ましいものではない」というのがある。

 世間一般の人は投資と投機がごっちゃになっているようで、「投資はバクチだ」という感覚を持っている人が多い。したがって、「そうではない。バクチなのは投機であって、投資は健全なことだ」ということを強調するために、専門家といわれる人たちの多くが「投資は善、投機は悪」という主張をしているようにみえる。

 この考え方は結構広く浸透しているようで、筆者が知っている金融機関関係者や評論家の中にもこういう意見を持っている人が意外と多いのだが、筆者は正直言って、その考え方には同意しかねる。「投資は良いことだ」という意見は賛成だが、だからといって「投機は悪いことだ」という考え方には大いに疑問があるからだ。

 どちらも、もうけようとする行為に変わりはない。人は道徳的でありたいという潜在願望が強いために、多かれ少なかれ自分が金もうけをする行為自体を、何らかの形で美化したくなるという気持ちがある。だから同じ金もうけであっても、一方は善で一方は悪と決めつけたがる傾向が生じるのだ。

 両者の違いをごくシンプルに表現すれば、「お金を投じた先の価値が向上することによってそこから利益を得る」のが投資であり、「お金を投じた先の価格が変動することによってそこから利益を得る」のが投機だ。

 つまり両者の違いは、利益の源泉が「価値の向上」か「価格の変動」か、という点だけなのである。どうやらこの違いを認識する中に“投機”をさげすむ心理が見え隠れしているようだ。「投資は企業価値の向上にお金を出すことで社会貢献している」という意識がある反面、「投機は単なる価格の変動というバクチで金もうけしようとしている」という感覚がどこかぬぐえないからだ。