ニーチェは、ショーペンハウアーを「私が誇る厳格な教師」と評した。真面目な生徒ではないが、筆者も時々ショーペンハウアーを読む。気軽に読める名言集だ。

 『ショーペンハウアー 大切な教え』(友田葉子訳、イースト・プレス)に面白いフレーズを見つけた。

 「実際に困窮し、貧しさを経験したことのある人は、話でしか知らない人と比べると、貧乏を恐れる気持ちがはるかに少ないため、結果的に浪費しやすい傾向にある。何らかの幸運に恵まれて貧困から急に裕福になった者よりも、よい環境に生まれ育った人間のほうが、一般に将来に対して注意深く、倹約家だ」

 さて、どう解釈したものか。

 確かにかつて貧しくて、その後お金持ちに成り上がった人が、派手にお金を使うことはあるように思うが、その理由は「貧乏を恐れる気持ちがはるかに少ないため」なのだろうか。筆者は、貧乏にもお金持ちにもなったことがないので、実感が湧かないのだが、成り上がり的な人々の過剰消費は、ヴェブレンの言う「衒示的消費」(みせびらかしのための消費)によるのではないかという気がする。元が貧乏だと、承認欲求が強かろう。

 もっとも、行動ファイナンスの理論として有名なプロスペクト理論を考えると、もともとのお金持ちの自分の富に関する「参照点」が高く、成り上がりのそれが低いなら、後者は参照点以下の状態に自分が陥ることの強い不効用をイメージしにくいから、成り上がりが消費に対して積極的であることの理由になる。ショーペンハウアー先生が、21世紀のノーベル経済学賞の業績を直感的に知っていたのだとすると、なかなか楽しい。

 ただし、経済学には、いったん上げた消費水準を落とすことが難しいとする「デューゼンベリー効果」のような研究もある。お金や名声のためにあくせくする者をバカにする傾向のあったショーペンハウアー先生は、成り上がり者に注意を奪われて、没落する元お金持ちの行動様式には関心が向かなかったのかもしれない。