手挽き石臼の3度挽きの蕎麦は
透明感があって美しい

 上野さんは、自然の成り行きのように手挽き十割の蕎麦屋にたどり着いたという。上野さんは東京で生まれ育ったが、母親は蕎麦の郷里、会津は喜多方の生まれだ。農家の長女で育った母親の元には郷里から蕎麦粉や饂飩粉が届く。上野さんは幼い頃から母親が打つ蕎麦を傍らで見ていた。

「月末が近づく頃、親父の給料が底をつくと、しばらくは母親が打つ蕎麦が続いてね、子どもの頃は蕎麦はそんなに好きではなかったですね」と上野さんが笑う。

母親のDNAが打たせた手挽き十割そば。「十割の蕎麦を食べて育ってそれしか知らなかった。それが蕎麦だと思っていた」(上野さん)。

 上野さんは誰にも蕎麦打ちは習っていない。母親が簡単に打っていたのだから、自分もできると思い込んでいたら、30歳の頃には商売人のように蕎麦を打てるようになっていたそうだ。

 工業デザイン会社を経営していた上野さんは、周囲の者を招いては蕎麦を振舞い、ある年齢に来たら蕎麦屋になると決めていたという。

 そして48歳のとき、上野さんはデザイン会社を畳んで転身した。蕎麦屋ニューウエーブの魁だった。

手挽き石臼の3度挽きの蕎麦は透明感があって美しい。微細な甘皮の星が散らばっている。深夜の上がり蕎麦は酒の余韻を心地よく残す。

 今でも毎日、手挽き石臼で蕎麦粒を挽いて粉を作る。蕎麦粒はざっくり入れて、まず一回挽く。粗めの粉を篩で取って、また挽く。同じように計3度、石臼で回す。これは「遊山」独特の挽き方だ。喜多方の血がそうさせるのか、それが身についてしまったという。

「要は美味い蕎麦になればいい。挽き方、打ち方は自由」(上野さん)。

 その蕎麦は透明感があって、香りに包まれているようだ。手挽き独特の黒っぽい甘皮が、微細な星になっていて美しい。腰のある食感が快く、口当たりが滑らかだ。

 深夜近くにこの蕎麦をずるっと口に運んで、トロリとした蕎麦湯で酒の余韻を残す。こんな幸せな「深夜の上がり蕎麦」を誰かに教えたいものだが、自分の中にしまって置きたい気持ちにもなる。