ヤマハ(旧・日本楽器製造)は、かつて2つの闘いを世界で展開していた。1つ目は、「普及」のための闘い。2つ目は、「成熟」との闘いである。
 いまから65年前の1954年。演奏する喜びを教えることで広く音楽文化を根付かせようと、ヤマハが始めたのが音楽教室だ。そこには「楽器を売り込む手段にしない」という方針が貫かれており、現在では40以上の国と地域で56万人が通い、卒業生は500万人に達している。ヤマハが「世界一の総合楽器メーカー」となりえた原動力の一つが、この普及戦略にある。
 ただし楽器は商品寿命が比較的長く、一定の普及率に達すると成長の限界に直面してしまう。よって、これまでは市場の成熟と少子高齢化が売上げを直撃してきた。たとえば主力製品であるアコースティックピアノの国内需要は、ピーク時の約20分の1以下にまで縮小している。
 その成熟対策として採られてきたのが、事業の多角化だ。1955年にヤマハ発動機として分離独立したオートバイをはじめ、半導体、自動車部品、スポーツ用品、レジャー施設など多岐にわたる音楽以外の事業を立ち上げてきた。
 しかしバブル崩壊後の低成長時代には、それらが業績を圧迫。多角化路線を見直し、音・音楽事業領域への原点回帰へと舵を切ることになる。
 伊藤修二氏、梅村充氏の2代にわたって行われてきた事業再編と構造改革のバトンを引き継ぎ、新たな成長ステージへの飛躍を託されたのが、2013年に社長に就任した中田卓也氏だ。中田氏は就任早々、凝り固まった事業部制の壁を壊す一方、技術・アイデア・人脈などを融合させることで、眠れる宝を掘り起こすことに成功。ヤマハの可能性を引き出し、顧客体験を追求した新たなイノベーションを実現しつつある。
 ヤマハが本来持っていた可能性――それは、音楽を介して人間の心と触れ合う技術(デジタルとアナログ)、文化(技能と芸術)、教育(音楽教室や学校教育)など、多面的な製品やサービスの深耕であり、それらを融合して、この時代にふさわしい花を開かせること。音や音楽という原点に立ち返ることで、新たな時代のイノベーションロードを確かな足取りで歩み始めることだ。
 実際、音・音楽事業領域への原点回帰により、みずからの可能性に目覚めた成果は数字に表れている。営業利益率はうなぎ上りに改善し、12%を超え始めた。中田改革は、既存の壁を壊し、新事業を創出するという課題に直面している日本企業にとって、次の未来を拓くための示唆に富んでいる。

ヤマハが持つイノベーションの力を
もう一度喚起する

編集部(以下青文字):――「イノベーションロード」(注1)を見学させてもらいましたが、とても楽しいですね。楽器好きな人なら、一日中ここにいたいと思ってしまうことでしょう。
 

イノベーションロードを突き進む【前編】
ヤマハ 代表執行役社長
中田 卓也 
TAKUYA NAKATA
1958年生まれ。1981年慶應義塾大学法学部卒業後、日本楽器製造(現ヤマハ)に入社。30歳の時、シーケンサー(自動演奏装置)の開発リーダーに抜擢され、わずか9人で始まったプロジェクトを約3年で100人の組織へと大きく成長させた。その後、DMI事業部で電子楽器の開発に従事。2000年には副本部長としてPA(業務用音響機器)とDMI(電子楽器)の事業部合併を成し遂げた後、2005年にPA・DMI事業部長に。2006年執行役員、2010年ヤマハコーポレーションオブアメリカ取締役社長、ヤマハ上席執行役員を経て、2013年にヤマハ代表取締役社長、2017年ヤマハ代表執行役社長に就任。事業部制廃止をはじめ、「融合」をキーワードに数々の構造改革を推進し、「音に関するすべて」を事業領域としてヤマハの可能性を追求し続けている。

中田(以下略):見たり聴いたりするだけでなく、とにかく楽器に触れてもらうことを目指しました。コンサート用のグランドピアノやオーストリアの名門「ベーゼンドルファー」のピアノをはじめ、自由に楽器に触れることができます。見るだけではつまらない、楽器は弾いてこそ楽しさを実感できるものですから。そこをしっかりと皆さんにお伝えすることが大切で、それができれば我々の商売の基盤につながっていきます。

注1)
1887年の創業以来、132年にわたるヤマハの歴史=イノベーションへの挑戦の歩みだったととらえ、その歩みと未来への道程を体感できるようにした企業ミュージアム。2018年7月、静岡県浜松市にある本社工場内のR&D拠点「イノベーションセンター」の新棟1階にオープンした。

――「イノベーションセンター」は本社工場の中央に位置していて、社員は会社に来れば必ずイノベーションを意識する配置になっています。その新棟1階に位置するミュージアム「イノベーションロード」は、創業132年の歴史をイノベーションへの挑戦の歩みだととらえ、それを見える化したといえます。ヤマハが持つイノベーションの力をもう一度喚起しようという本気度を感じますね。
 その通りです。ヤマハに限らず、日本全体もそうだと思うのですが、20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、ちょっと停滞した時期がありました。かつて日本企業は意欲的にいろんなことに挑戦してきたにもかかわらず、バブル崩壊とデジタル化の進展で守りに入っていくうちに、自分の殻に閉じこもっていく傾向があったのです。しかしその殻を破ってチャレンジをし、新たな価値をつくっていかなければ我々の事業そのものが維持できない。そんな時代がやってきました。
 だからこそ、「ヤマハは創業当初からさまざまなイノベーションを繰り返してきた」という事実をまずはみんなで共有したかった。先輩たちの挑戦の歴史を社員たちに実感してもらい、「この先の新たな道のりを拓いていくのは君たちだ」というメッセージを伝えたかったのです。
 ただしそれは、写真だけではけっして伝わりません。ものづくりの会社ですから、やはり実物を置かなければ意味がない。特にヤマハは感性を大事にしたものづくりで勝負をしている会社ですから、実物を並べることで立体的に感じることが重要です。雰囲気、空気感、凹凸感など材質のテクスチャーを含めてみんなと共有したい、そう思ったのです。

――そのメッセージは、社内に定着してきましたか。
 定着まではいっていませんが、「自分たちもやっていいのかな」という意識は浸透してきたように思います。これまでもずっと、社員一人ひとりの中には「これがしたい。あれをやりたい」という気持ちがあったはずですが、会社全体が守りに入っている時期にはそれが抑えられていたかもしれません。何か提案してもダメだと言われそうだとか、新しいアイデアを出しても却下されるのではないかと。私は社長就任直後から、「新しいことに挑戦しよう」と懸命に言い続けてきたつもりですが、当時は「本当かな」いう疑心暗鬼が社員たちの中にあったかもしれません。
 しかし、イノベーションロードをはじめとする仕掛けや、さまざまな社内変革への取り組みを通じて、「会社は本気かもしれない。自分たちもやれるのではないか」というように、社員の意識が変わってきた手応えを感じています。