ルワンダは若い白人女性がごくふつうに道を歩いている稀有なアフリカ
正直にいうと「アフリカのシンガポール」と聞いても半信半疑で、「そんなわけないでしょ」と思っていた。ルワンダの旅の驚きは、空港から市内に向かうところから始まる。
道路が整備されているのは当然として、まさにシンガポールのように、道路脇は芝生がきれいに刈り整えられ、ヤシやシュロなどの樹が植えられている。
市街地に近づくと驚きはさらに広がる。ビルはどれも新しく、看板や表示はすべて英語だ。しかしほんとうに驚いたのは、若い白人女性がごくふつうに道を歩いているのを見たときだ。
残念なことに、アフリカの都市のなかで旅行者が街歩きできるところはそれほど多くない。私はこれまでケープタウン(南アフリカ)、ハボローネ(ボツワナ)、アンタナナリヴ(マダガスカル)、アディスアベバ(エチオピア)を歩いたが、どこも白人の姿を見たことはほとんどなかった(ケープタウンはビーチ沿いに白人地区がつくられ、ダウンタウンは黒人の町になっており、インド系のひとをたまに見かける程度だ)。白人の、それも若い女性が歩いているなどというのはちょっと信じがたいのだ。
下の写真はキガリ中心部で、オフィスビルやショッピングセンター、政府系施設などの新しいビルが建ち並び、広い歩道がつくられている。ここでも地元のひとたちに混じって、ビジネスで滞在しているらしいスーツ姿の白人女性が、連れ立って世間話をしながら歩いていた。
キガリ中心部。新しいビルが立ち並んでいる (Photo:@Alt Invest Com)
歩行者天国になっている市役所の前に「ジェノサイド25周年」の表示があった (Photo:@Alt Invest Com)
もうひとつ驚いたのは、地元の若者がごくふつうに英語を話すことだ。
映画『ホテル・ルワンダ』の舞台になったのは老舗ホテルのミル・コリンズだが、坂の下のわかりにくいところにあって、地図を見ながらうろうろしていると、オフィスビルの駐車場の管理をしている若者が「どこに行くの?」と訊いてきた。「ミル・コリンズを探してるんだ」というと、「ああ、それなら通りの向こうの道をちょっといって、左手に階段があるからそこを下って、ふたつ並んだ建物の向こう側だよ」と教えてくれた。
もともとルワンダは第一次世界大戦以降ベルギーの植民地で、独立してからもフランスの影響が強く、ブルンジとともにフランス語圏だったが、ジェノサイドのあとに権力を掌握した現政権が強力な英語化政策を進め、若者たちの多くは小学校から英語で授業を受けているのだという。
ルワンダではジェノサイド後にベビーブームが訪れ、人口の6割がその後に生まれた。会話のなかにも“before Genocide”“after Genocide”という言葉がふつうに出てくる(日本の「戦前」「戦後」と同じだ)。ルワンダの虐殺についてはあらためて取り上げたいが、彼らの親の多くは国外難民で、現政権とともに移住してきたため、その子どもたちにとってジェノサイドはまったく体験のない「歴史」なのだという。
映画『ホテル・ルワンダ』の舞台となったミル・コリンズ。ここはフランス語表示 (Photo:@Alt Invest Com)
ホテル・ミル・コリンズのプール。宿泊客のほとんどは白人 (Photo:@Alt Invest Com)




