橘玲の日々刻々 2019年6月28日

平成の「失われた30年」で日本の市場は魅力を失い
リスクを取る起業家も減ってしまった
【橘玲の日々刻々】

「日本の大企業では生産性の上昇が生産の拡大に直結せず、むしろしばしば生産の縮小に直結する」

 ここで誰もが感じる疑問は、「なぜ生産性の低い工場だけでなく、生産性の高い工場まで閉鎖したのか」だろう。

 深尾氏はその理由として、「生産性の高い製造業が海外の市場や安価な労働を求めて海外移転を進めたこと」と、「大企業が国内において、おそらく労働コストの削減を求めて、生産の拡大を子会社に担わせ企業内ではリストラを進めたこと」を挙げている。

 バブルが崩壊して日本経済が急減速したとき、日本企業にとって最大の重荷はバブル期に大量採用した人員だった。日本ではいったん雇った正社員はよほどのことがないかぎり解雇できないことになっているので、だぶついた社員を年功序列・終身雇用で養っていかなくてはならない。このことに気づいた経営者は、会社が消滅するリアルな恐怖を感じたのではないだろうか。

 こうして、なりふりかまわぬ人件費の削減が始まった。

 最初にやったのは、新卒採用を大幅に絞り込むことだ。とにかく、流れ込んでくる正社員を止めなくてはならない。

 次は、年功賃金のカーブを平準化することだ。これまでと同じように年齢に応じて給与を増やしていったら、人件費の重みで会社がつぶれてしまう。日本的雇用システムでは会社と正社員は一蓮托生だから、労働組合も「賃下げ」に応じるほかなかった。

 それでもポストの数が限られている以上、どうしても余剰人員が出てくる。そこで子会社に転籍させたり、採算の取れない事業部ごと外資に売却したり、場合によっては中高年を「追い出し部屋」に放り込むようなことも行なわれた。これが「リストラ」として大きく報じられたわけだが、その陰でそもそも労働市場(正社員)から排除された膨大な数の若者たちがいることはほとんど顧みられることがなかった。

 しかしこれだけでは、事業はどんどん縮小する一方だ。そこで製造業を中心に、人件費の安い中国や東南アジアなどの新興国に積極的に進出して利益をあげようとする試みが広がった。こうして、「日本の大企業においては、生産性の上昇が(日本国内の)生産の拡大に直結せず、むしろしばしば生産の縮小に直結する」という奇妙な事態が起こったのだ。

 平成の「失われた20年」において、雇用増加の大部分はサービス産業で生じており、雇用喪失のほとんどは生産の海外移転やリストラが続いた製造業や、公共事業が減った建設業で起きた。

 日本では、報酬の高い産業(製造業)から低い産業(サービス業)へと一貫して労働力が移動したため、これによって市場経済の実質付加価値を6%減少させたと深尾氏は試算している。

 

平成の製造業の特徴は積極的な海外進出と非正規比率の急増

 日本経済では製造業とサービス業の生産性の格差がしばしば指摘されるが、だからといって生産性の低い産業から高い産業に労働者が移るわけではない。大手の製造業は、もはや国内でそれほど労働者を雇おうとしないからだ。なぜなら、日本は人件費が高く、いったん雇った社員を解雇できないから。

 そのうえ日本的雇用システムでは、欧米とちがって労働組合が産業別に組織されておらず会社別になっている。「働き方」は経営者と労働組合の「自治」で決めることになっており、このような仕組みからは、自分たちの既得権を犠牲にして雇用を増やそうなどという発想が出てくるわけはない。

 日本では会社は「正社員の運命共同体」で、労働組合の最大の目的は会社を維持することと、正社員の既得権を守る(自分たちが無事に定年まで勤めあげて満額の退職金を受け取る)ことだから、市場が縮小するなかでは、「社員を増やせば自分たちの取り分が減る」と考えるようになる。平成の製造業の特徴である積極的な海外進出と非正規比率の急増は、ここから説明できるだろう。

 日本の生産性が低い理由として、しばしばICT(情報通信技術)を効果的に活用できていないことが指摘される。アメリカでは1990年代にIT革命が生産性を加速させだが、2000年代半ばにその効果が出尽くしたことが「長期停滞」の要因ではないかとされる。ところが日本経済では、そもそも「IT革命」は生産性に効果を及ぼしていない。

 だとしたら、ITへの投資が少ないのだろうか? しかしこれは事実に反する。

 たしかに先進国では、「企業が持つ技術知識ストックが2倍になると生産性が8%程度上昇する」という統計データがあるが、日本の研究開発支出対GDP比率(2016年)は3.42%で、G7諸国のなかでももっとも高いのだ。

 日本経済の問題はITへの投資額が少ないことではなく、投資の成果が出ないことだ。このパラドクスを深尾氏は次のように説明する。

 IT革命が到来して、アメリカでは、これまで会社内で行なわれてきた業務がアウトソースされるようになった。こうして生産活動の一部が効率的な国内外のサービス供給者に集約され、経済全体の生産性が上昇した。

 ところが日本では、雇用対策を優先したため、社員の仕事を減らすような業務のアウトソースができず、子会社や系列会社をつくって社内の余剰人員を移動させるという対応がしばしば行なわれてきた。しかしこれでは、個別の企業にとっては労働コストの削減にはなるものの、経済全体の生産性上昇にはつながらない。

 さらにアメリカでは、ソフトウェアを導入するにあたって安価なパッケージソフトで済ませ、組織の改編や労働者の訓練によって、会社の仕組みをソフトウェアに対応させようとした。それに対して日本では、労働組合が抵抗する組織改編や社員の訓練を避けるため、ソフトウェアを会社組織に対応させようとして、高価なカスタムソフトウェアを導入することになった。

 こうして日本では、ITの導入が組織の合理化や労働者の技術形成をもたらさず、割高な導入コストや、異なったソフトウェアを導入した企業間の情報交換の停滞も相まって、生産性の停滞を引き起こしたというのだ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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