それで「あー楽しかった」と終わるのが同窓会で、それでいいと思われるが、Eさんのようにやや深刻にあれこれ考え始めると、同窓会の楽しめるはずの部分を満喫しにくくなってしまう。反対に、現在の自分をおおいに誇っている人は堂々と同窓会に参加できるであろう。

 この意味で、同窓会招待の報せはリトマス試験紙のようなものといえる。「出席しますか?」と聞かれて、まずどのような感情がよぎるか。出席することに二の足を踏むようなら、今の自分を誇れていないのかもしれない。もちろんそう思ってしまうのは他人と自分のキャリアを比べている人に限る。

若かりし頃の過ち
苦い青春の思い出

 あとは、「当時やらかしちゃって顔を出しづらい」ケースがある。

 Fさん(37歳男性)が通っていた高校のクラスは仲が良く、卒業後も頻繁に集まっていてプチ同窓会が開かれていた。しかしFさんは成人式とあわせて開催された同窓会に出席して以降、もう顔を出さなくなってしまった。それはなぜか。

「そこそこ仲が良かった同級生にちょっかいかけて、まあ平たく言って“一夜のお誘い”をしようとがんばって口説いて、結局ダメで、勝手に気まずくなって同窓会の類いには顔を出しづらくなった」(Fさん)

 こうした若気の至りを経験している人は多く、それがそのまま同窓会への壁となる。

 Gさん(39歳男性)の若気の至りは、それ自体はありふれたものだったがこの人の性格が苛烈なので、苛烈な結末を迎えた。

 Gさんは高校生時いわゆる不良だったが、主に学外で、街で知り合ったワルとつるむ青春を送っていた。学校では、気に入らない相手がいると上級生だろうが教師だろうが校内不良グループであろうが食ってかかり、すぐに手が出てしょっちゅう停学を食らっていた。やがて「あいつはやばい」ということでGさんは各方面から敬遠されるようになった。校内では孤立したが、若い反抗心を体中に溢れかえらせていたGさんはそれがむしろ心地よかった。