率直で純粋な心を見失っている

田舎暮らしの夢を話してくれた社会人。忙しい毎日をおくる社会人のなかには、同じ夢を持つ人はけっこういるのではないだろうか

 お寺の片隅で一休みしている、私よりも少し年上のビジネスマンにも話を伺うことができた。快く取材に応じてくれたその男性は、夢を伺うと静かな口調でこう話してくれた。

「夢は、定年後、農村でゆっくり暮らすことです」

 今は東京での仕事に忙しくしているが、将来的にゆったりとした環境で豊かな暮らしができることを夢見て、今を生きているのだという。

 私は、彼に対して「いまの日本って、夢を語ることが恥ずかしい、或いは、夢を語れない社会になっていると思いませんか?」と、ここ最近感じていた問題意識をぶつけてみた。すると、「いや、そんなことないと思いますよ。もう少し具体的に質問すれば、答えは返ってくる気がします」と答えてくれた。

「内向き」、「無気力」などと揶揄されるのが日本社会を支配する「空気」だ。しかし、今回の街頭インタビューを通じて、夢を持っていない、語ろうとしない人たちばかりではなく、本当は夢を持っている人が多いということを体感することができた。

 夢を語ろうとしなかった人は、所属する会社との関係を心配したり、公の場での発言に慣れていなかったり、シャイだったり、照れくさかったりと、あらゆる理由があると思っている。

 しかしながら、夢を持ち、それを他者とシェアしながら、みんなで盛り上げていこうという、素直で純粋な子供心をほとんどの日本人が見失っている、少なくとも見失っている振りをしているような現状には、私としても問題意識を抱かざるを得ない。

「忙」とは「心が亡くなる」

 世界各国の人々と比べても、日本人はあまりにも忙しすぎる。職場で、酒場で、道端で、みんながみんな、周りに迷惑をかけないように、場の雰囲気を壊さないように、空気を読むことに忙しくしている。

 帰国時に、酒を飲みながら最近の情勢を語ろうと約束していた若手役人から、「ごめん。上司の仕事がまだ終わってなくて出られない」とドタキャンされたことがあった。また、夜のJR東海道線で、酔っぱらった上司の無味乾燥な話をペコペコしながら相槌を打つだけの同世代の姿も目にした。私はそんな姿を見ると、「ほかにやることあるだろ」、「足元見ろよ」、「もっと自分を大切にしろよ」と思わざるを得なくなる。

「忙」という字は、「心が亡くなる」と書く。先の若手役人や東海道線内で見た若手会社員のように、意味もなく忙しくしすぎると、忙しいことが当たり前で、仮に意味がなくても、生産性に欠けても、忙しくないとその場にいられないような錯覚に陥ってしまう。心と体が麻痺する。それは即ち、心が亡くなることを意味する。