「ねじを巻かないといけないですかね」

 首相官邸からため息が漏れ始め、郵政の首脳陣が頭を抱える中で、そうした状況を一番危惧し首筋に寒けを感じているのは、日本郵便の横山邦男社長だろう。

 横山氏は1981(昭和56)年に住友銀行(現三井住友銀行)に入行。主に企画畑を歩み、さくら銀行との合併時には統合戦略室長を務めており、2006年には三井住友銀行元頭取の西川善文氏と共に、日本郵政の経営に参画した人物だ。

 郵政に出向後も、なぜか三井住友グループの社宅をそのまま利用しながら、わずか2年余りで姿を消すことになったJPエクスプレスの設立やかんぽの宿の一括売却に携わり、その後騒動となるなど話題に事欠かなかったが、民主党への政権交代をきっかけにチーム西川が解散すると、志半ばで銀行に戻っている。

 郵政で汗を流したその3年半の間に、親交を深めたのが当時の菅義偉総務相だった。

 西川氏の下で実務部隊として駆けずり回り、「郵便局長からも好かれていた」(関係者)横山氏の姿を菅氏が見ていたからこそ、7年後の16年に今度は日本郵政の取締役兼日本郵便のトップとして、声が掛かったわけだ。

 郵政への再登板を巡っては、親しかった森信親前金融庁長官の後押しもあったとされる。

 一方で、7年のブランクは横山氏にとって想像以上に大きかったようだ。

 日本郵政はすでに上場し、郵便事業においても市場に対して常に成長性をアピールする必要に迫られるなど、環境が激変していたからだ。

温存していた一昔前の営業推進策

 かんぽの宿問題での蹉跌を引きずり、郵政が持つ不動産の利活用にこわだる中で、野村不動産ホールディングスの買収計画に飛び付いたものの、交渉は決裂。思い切った成長戦略を描けず焦りが募る状況で、次善の策としてゆうちょ銀行やかんぽ生命の営業推進による手数料収入の拡大で、ひとまず足元を固めるということに、次第に目を向けていったのは必然だったのかもしれない。

 「組織マネジメントが旧態依然になっていた」

 不適切販売を巡る謝罪会見で、横山氏はそう語ったが、低金利の環境が続き、かんぽ生命の主力となる養老や学資保険といった貯蓄性商品の販売が低迷する中で、厳しい営業ノルマを郵便局員に課せば、どこかに無理が生じることは、容易に見通せたはずだ。