ハード(集積回路)の開発が成長の鍵だったPhoto by Hideyuki Watanabe

カプコンの辻本憲三会長兼最高経営責任者(CEO)は、世界的なゲームメーカーの創業者と、米国でも有数のワイナリーのオーナーという2つの顔を持つ。ゼロから事業を育て上げる秘訣などを聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

――日本と海外を行き来しながら、ゲームとワイナリーの事業を指揮しているそうですね。

 そうです。3分の1は米国などの海外にいて、あとは関西と東京を行ったり来たりしてます。

――カプコンの創業から36年で、売上高1000億円、営業利益率18%、海外売上高比率60%(2018年度)の会社に成長させました。いまの最大の関心事は何ですか。

 いつも気にしているのが5~10年先のテクノロジーです。それによって世の中も業界も変わりますから。それを見極めて先手を打たないと時代遅れになります。

――1980年代半ば、ゲームがマンネリ化して低迷しました。それをカプコンが打破したのも、テクノロジーによってでした。ゲームの画像をきれいにできるシステム基板の開発の成功が成長の起爆剤になったそうですね。

 カプコンは当時、ゲームセンター向けの業務用に集中していました。

 基板のビット数が8、16、32と増えるに従ってゲームの表現を豊かにできます。キャラクター、サウンドなど全てがメモリー次第なのです。

 いいものを作ろうとすると基板の枚数が増え過ぎて筐体(テーブル型などのゲーム機の本体)に入らないし、(原価高になって)利益も出ません。こうした制約があるため、どこのメーカーのゲームも似通ったものばかりになっていました。

 開発する側からすると、各チーム(キャラクターデザイン、サウンドなど)によるメモリーの取り合いになる。こんな状態ではどうしようもないと判断して、いいものを作るために、どれだけの基板のスペックが欲しいか各チームに聞きました。

 要求通りに作ってみると、20枚もの基板になってしまった。それでは売り物になりません。リコーに相談したら同じ機能で2枚のチップ(集積回路)にまとめてくれました。

――テクノロジーに投資したことで、他社には作れないゲームを世に出せたと。

 ハードのスペックが飛躍的に向上したのですから、いいゲームができるに決まっています。全然違う世界観を創れた。それ以降は世界中で売れるようになりました。

 だいぶ韓国にコピーされましたけどね(笑)。でもまるっきり同じタイトルでコピーするものだから、世界でブランドが根付いたのだと思っています。

――コピー製品の氾濫は問題ですが、あえて前向きに解釈すれば、マーケットを広げ、認知度を高めてくれたと。

 その通りです。南米などを含めて流通量は1000万台に達していたんじゃないでしょうか。業務用のゲームはテーブル型の筐体に入っているからどこに流通したかが分かるのです。

 当時は家庭用ゲーム機として83年に任天堂が発売したファミリーコンピュータ(ファミコン)がありましたが、ファミコンのスペックではカプコンのゲームは遊べなかった。

 ところが、90年にスーパーファミコンが出て16ビットのソフトでも遊べるようになったので、カプコンは一気にスーパーファミコン用ソフトに力を入れました。