ISの崩壊で勢力を伸ばしたシリア政府軍
ISの崩壊によって、シリアの戦局は大きく変わっていきました。ISの崩壊過程において、最も勢力を伸ばしたのはシリア政府軍でした。現在では3つの地域、クルド人勢力が2013年より事実上の自治を行なっているシリア北東部と、反政府勢力の最後の拠点となっている北西部のイドリブ県、米軍の駐留している南東部のヨルダンおよびイラク国境付近、これらを除くほとんどの地域がシリア政府軍の支配下にあります。
自信をつけたシリア政府は、2018年10月には、国内外に逃亡した兵役拒否者に恩赦を与えるなどして、帰還と復興を呼びかけました。さらに、シリア政府軍は本年4月以降、最後に残る反政府勢力の拠点であるイドリブに対しても猛攻を加えています。
また、クルド人が支配する地域においても変化がありました。クルド人勢力は内戦の初期段階からアメリカの支援を受け、北東部に自治区を確立していました。
ところが、自国に多数のクルド人を抱えるトルコが、シリアのクルド人勢力の伸張が国内のクルド人を刺激することをおそれ、2018年1月、シリア領内のクルド地域を攻撃しました。さらに、同年12月、クルド人勢力に武器等を供与してきた米軍がちかく撤退するとの声明が発表されたために、クルド人勢力はトルコのさらなる侵攻に危機感を募らせ、これまで対立してきたシリアおよびロシア軍へと歩みよるという大きな方針転換を図りました。
シリア政府はクルドからの支援要請にこたえ、クルド地区を保護するためにトルコ国境に軍を進めました。将来の内戦終結時のクルド人との交渉において、この進軍がシリア政府を優位にすることは明らかでしょう。
ゴラン高原を巡るシリア対イスラエルの戦いが再び激化
では、シリア内戦はゴラン高原にはどのような変化を招いたのでしょうか? ゴラン高原のシリア国境付近は、2014年頃に反政府勢力の一派であり、アルカイダ系のヌスラ戦線の支配地域となっていました。
領域のほとんどの地域においてシリア政府軍が排除されるほどで、ヌスラ戦線はさらにシリア側に存在していた国連の監視軍もイスラエル側まで退却させました。そのため、停戦エリアでは、ヌスラ戦線とイスラエルが直接対峙するという状況になっていました。
両者の対立が懸念されましたが、「敵の敵は味方」なのか、イスラエルは反政府勢力に「防波堤」の役割を見いだしていたようです。
イスラエルは2013年頃から、2018年夏にシリア政府軍が再びこの地を占領するまで、国境付近に流入するシリア難民に対して、医療を提供するなど人道的措置をとっていました(「よき隣人作戦」と呼ばれる)。そのため、ヌスラ戦線がイスラエルを攻撃することはなく、ゴラン高原周辺は反政府勢力への支援の地と化していました。
「よき隣人」作戦の5年間に約5000名のシリア人が治療を受け、イスラエルから食料、衣料品、燃料などの物資も運び込まれていました。また、反政府地域でボランティア活動を行なったとして有名なホワイト・ヘルメットの人々も、ここからシリアへの出入国をしていたといわれています。
ところが、シリア政府軍はヒズボッラーやイラン革命防衛隊、ロシア空軍およびロシア傭兵部隊の支援を受け、2017年にはゴラン高原のシリア側の北部地域を再び支配下に置くことに成功しました(南部については2018年7月に完了)。
これに対して、イスラエルはゴラン高原に地対地ミサイル攻撃を行ないました。さらに、イスラエルはイランからの支援を受けた部隊を攻撃するために、首都ダマスカス近郊やシリア中部に至るまで空爆するようになりました。
シリア軍も報復攻撃を行ない、2018年には両者の報復合戦が激化していきました。イスラエルのシリアへの攻撃回数は、数百回を超えたといわれています。
事態の鎮静化のために、ロシアが同年8月にイスラエルとシリアの仲介にあたり、シリア政府にゴラン高原から85キロ以内のイランやシーア派の民兵の撤退を約束させました。けれどもこの効果は一時的に過ぎず、翌9月には両国の報復合戦は再開され、現在に至っています。
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