そもそも、休日に何をしようが本人の勝手だ。また、担当業務についてメディアに取材を受けた同僚の陰口を言っても実益などない。それどころか、市民に役所の活動を広くアピールできる状況を妨げ、同僚を委縮させる。もし、若手職員がこういった発言や状況を目にすれば、組織に馴染むためにも個を殺し、大過なく職務に向き合おうとするだろう。当初は創造性や独創性があっても、やがてそうした能力は発揮されることなく、時間とともに失われる。

 他にも気になる点がある。業務を改善しようとすると、前任者や先輩の仕事を否定する者、さらには仕事を増やす迷惑な者として捉えられ、陰口、批難、抵抗にあう。そのため、改善を進める者は、組織内の調整に多大なリソースを割くことになり、大きな精神的負荷がかかる。

 公務員という組織人には、年功序列の給与制度がある。これについては当人が公務員を選択する前からわかりきっていることではある。しかし、仕事で成果を上げても、すぐに報酬や役職に反映されないどころか、周囲からは出る杭として叩かれる。こうした状態では、頑張ろうとする職員を増やすことは難しい。

公務員バッシングという負の現象の根源にあるもの

 公務員組織に蔓延する、公務員による公務員バッシングはなぜ生まれるのだろうか。複数の要因が考えられるが、取材で得た一般的な要因や、実際に職員が感じている代表的な理由を順にあげていく。

 まず、役所は地域における独占企業といえる。民間企業が直面しているような市場競争にさらされていないため、「意識が内部に向きやすい」。

 次に、既存業務の運用に間違いを起こさないことが重要視されるため「個を生かす感覚が希薄」である。

 さらに、「公務員は黒子であることが正義だという固定観念」も根強い。

 そして最後に、「同僚への嫉妬心」である。目立つことを控える組織文化のなかで、注目を浴びる同僚に向けられる目は冷ややかだ。

 役所の歴史や文化、環境、イメージなど多様な理由によって、公務員による公務員バッシングが生み出されていることがわかる。

 公務員バッシングと聞くと、一般的にはメディアが公務員に対して行うものを連想するのではないだろうか。過度な公務員バッシングは長期的に公務員のモチベーションの低下や、採用の質の低下を生むが、不祥事を監視する立場でメディアが力を発揮することは少なくない。毎年、公務員の不祥事が一定数存在することも事実であり、メディアによる公務員バッシングの抑止効果は間違いなく認められる。