ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』が話題の山口周氏。山口氏が「アート」「美意識」に続く、新時代を生き抜くキーコンセプトをまとめたのが、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
私たち日本人は幼少期から「逃げてはいけない」「我慢して耐える」などの価値観を叩き込まれる。逃げるという行為に、多くの人がどこか心苦しさを感じるだろう。
しかし、危機に直面した生物は「戦う」か「逃げる」かのどちらかの選択をする。「じっと耐える」ことはない。これは私たちの人生にも当てはまる。「上手に逃げる」ことは生存戦略上、重要な能力なのだ。
切り替わった時代をしなやかに生き抜くために、「オールドタイプ」から「ニュータイプ」の思考・行動様式へのシフトを説く同書から、一部抜粋して特別公開する。

【山口周】人生の豊かさは<br />「逃げる」巧拙に左右される

【オールドタイプ】一箇所に踏み留まって頑張る
【ニュータイプ】すぐに逃げて、別の角度からトライする

「痛み」はなぜあるのか?

おのが分を知りて、及ばざる時は、速やかに止むを智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして、しひて励むは、おのれが誤りなり。
――吉田兼好『徒然草』

 痛みという感覚を好ましいと思う人はあまりいません。にもかかわらず、私たち人間をはじめとした霊長類にはこの感覚が備わっています。これはなぜなのでしょうか?

 生物は、進化のかなり早い段階で「痛み」という感覚を備えるようになったことが知られています(*1)。これはつまり、生物の進化という過程において「痛み」という感覚を持っていることが、個体の生存・繁殖に有利に働いたということです。

 この示唆を上下にひっくり返してみれば、痛みの感覚に鈍くなるということは、その生物の生存・繁殖にリスクをもたらすということになります。

 さて、一般に日本では「痛み」に代表されるネガティブな感覚・感情に対して「我慢する」ことが美徳だと考えられていますね。

 深刻な事故が相次いでいるにもかかわらず、なぜか一向に廃止される気配のない小学校の組体操に関する指示書を先日読ませてもらったのですが、デカデカと「痛いのはみんな同じ、弱音をはかない」などとトンデモないことが書いてある(*2)。

 このようなことを平気で言う人は、なぜ生物が「痛み」という感覚を進化の過程で持つに至ったのかということを今一度考えてみてはいかがでしょうか。

 世の中には「痛みを感じない」という人がいます。これはもちろん「我慢強い」という意味ではなく、疾患として「痛覚の神経を持たない」という意味です。そして、とても気の毒なことですが、このような疾患の持ち主は長生きできない、統計的に短命であることが知られています。

 普通の人なら痛いと感じるようなことでも平気でやってしまい、火傷したり骨折したり脱臼したりしているのにそれに気づかない。痛覚がないのですから当たり前です。

 仕方がないので、何が危険なのかを「知識」として与え、気をつけるように注意する、何かに触れたら怪我をしていないかをチェックするといったことを教えるわけですが、現実にはそこまでやったとしても長命は望めないことがわかっています。

 立っているときに足が痛いので少し体重を移動する、あるいは寝ているあいだに背中が痛いから寝返りをうつ、といったことすら「痛みの感覚」がないとできず、知らず知らずのあいだに普通の人なら当たり前に避けられる過度な負担を身体にかけてしまうのです。

 これを逆にいえば、私たちは普段、極めて巧妙かつ無意識のうちに「痛み」を避けており、それが健康の維持に重大な影響を与えている、ということです。

 どんなに知識として「何が危ないのか」を理解させ、適応させようとしても、普通に「痛み」を感じる人ほどには長生きすることはできない。この事実は非常に興味深いと思います。

 私たちは自分たちのキャリアや人間関係について、まさに「何が危ないのか」「どうすればいいのか」といった抽象的な知識を得るために大そうな額のお金を支払っていますが、そのような知識そのものを習得するよりも、判断が求められるその瞬間、つまり「今、ここ」において自分の身体がどのように反応しているかを敏感に感じとる力の方が、はるかに重要だということになります。

(注)
*1 痛みを知覚し、伝達する神経系(生物学・医学用語で言うところの侵害受容器)は、私たち人間をはじめとしたほとんどの哺乳類には備わっているが、魚類や昆虫などに同様の感覚があるかどうかについてはどうもはっきりしていないらしい。最近の論文を眺めてみると「魚類にはあるが、昆虫にはない」とする考えが優勢のようだ。しかし、そもそも「痛み」という感覚そのものが主観的である以上、他の動物どころか人間のあいだであっても、同じ感覚を共有しているかどうかを確認することは原理的にできない。

*2 ウィキペディアの「組体操」の項目によると、1969~2014年度の46年間に延べ9人の死亡事故と92人の後遺障害が確認されており、また1983~2013年度の31年間に学校の組体操において障害の残った事故は88件発生している。これほどまでに危険性が喧伝されているにもかかわらず、多くの幼稚園・小中学校において相変わらず組体操が廃止されないのはなぜなのか。個人的には全体主義のもとに生徒を支配したいという教師側のエゴが最大の要因だと思っている。