2016年7月に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「県立津久井やまゆり園」で元施設職員の植松聖被告(29、犯行当時26)が侵入し、入所者19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた事件だ。

 この事件では犠牲者について、性別と19~70歳の入所者だったということ以外、ほとんど明らかにされていない。

 神奈川県警は匿名にした理由について「知的障害者の支援施設であり、遺族のプライバシー保護等の必要性が高い。遺族からも特段の配慮をしてほしいとの強い要望があった」としていた。いまだに犠牲者の身元は報道されていない。

 それでは、会議が主張する「事件の全体像が正確に社会に伝わらない懸念」は果たして、本当に存在するのだろうか。

 筆者が見る限り、相模原障害者施設殺傷事件や京アニ事件のいずれも、犠牲者全員の身元が報じられなくても、事件の凄惨さ・悲惨さは伝わっている。

 遺族や友人でも取材に応じる関係者もおり、事件に対する怒りや悲しみも報道されている。現場に慰霊に訪れるファンの表情もテレビや新聞、ネットを通じて広く知られている。

 事件が青葉真司容疑者(41)の「理不尽かつ一方的な思い込みによる逆恨み」が動機の可能性であることも、読者・視聴者はなんとなく感じてはいるはずだ。

 結論から言えば、会議の懸念は、まことに杞憂(きゆう)に過ぎないと言って差し支えない気がするのだ。

 一方で、筆者は青葉容疑者が起訴され、判決が確定するまで犠牲者がAさん、Bさん、Cさんと表記し続けるのには抵抗がある。

 それぞれに氏名があり、事件で犠牲となるまでの歳月に人生があった。その方々を人格のない記号で羅列するのはあまりに失礼と感じるのだ。

 公判(刑事裁判)は公開で行われるのが原則だ。もちろん、犠牲者の氏名も公表される。事件発生直後に身元の公表を遺族が希望しないのならば、初公判まで控えるという選択肢があってもいいのではないかと思う。