橘玲の世界投資見聞録 2019年9月12日

イギリスの地方都市にふきだまる「下級国民」、
チャヴは蔑まれ、嘲笑される白人の最貧困層
【橘玲の世界投資見聞録】

サッチャー政権下の改革にチャヴの萌芽があった

 イギリスの最底辺でチャヴはどのように生まれたのだろうか? オーウェン・ジョーンズは「ラディカル・レフト」と呼ばれるような政治的立場で、1980年代のサッチャー政権以降の「グローバリズム(ネオリベ)」を、トニー・ブレア率いる労働党政権も含めて全否定しているが、そうしたイデオロギー的バイアスを取り除いてまとめるなら以下のようになるだろう。

 「ゆりかごから墓場まで」の高福祉によって社会の活力が失われ「英国病」と揶揄された状況を痛烈に批判し、1979年の総選挙に大勝し首相の座についたマーガレット・サッチャーは「社会などというものは存在しません。個人としての男と女がいて、家族があるだけです」という有名な言葉に象徴されるように、徹底した「自由と自己責任」の論理を国民に求めた。

 そんなサッチャーが鳴り物入りで導入したのが「買う権利」政策で、公営住宅を20年以上借りていることを条件に、住宅ローンを組んで相場の半値で買うことが認められた。この大胆な持ち家奨励策によって、自らの資産(マイホーム)を管理し、仕事や子育てなど自分の人生に責任をもつ「中流階級(ミドルクラス)」を創出しようとしたのだ。

 これは「労働者階級(ワーキングクラス)」のなかで一定以上の収入のある層には大きな恩恵だった(なにしろ市価の半値でマイホームが持てるのだ)。その一方で、じゅうぶんな収入のない労働者はこの好条件でもマイホームを買うことができず、老朽化する一方の公営住宅に住みつづけるしかなかった。

 さらに、「国民総持家政策」によって新たな公営住宅が建設されなくなったことが貧困層の状況を悪化させた。不動産価格の上昇で、家を買うことも借りることもできなくなった何百万人もが公営住宅の入居待ちリストに名を連ね、1984年から1989年のあいだにイギリスのホームレスの数が38%上昇した。こうして公営住宅は、「もっとも貧しく弱い人々に特化した住まい」になっていった。

 保守党政権にとって、「買う権利」を活用できないのは「自己責任」でしかなかった。これは、サッチャーの次のような言葉に象徴されている。

 「今日、この国に根本的な貧困は存在しません。西欧諸国に残っているのは貧困以外の問題です。たしかに、貧困らしきものはあるかもしれない。それは予算の立て方や、収入の使い途を知らないからです。しかし、いま残っている問題は、個人のごく基本的な性格の欠陥だけです」

 

生活保護を受けながら児童手当目当てに子どもをたくさん産むという「貧者のライフスタイル」

 1997年にトニー・ブレアの労働党が政権を奪取するが、この「リベラル」なエリートたちが掲げたのが、イギリス社会の宿痾である「身分制」を終わらせることだった。それは、貴族と平民の階級を打ち壊し、すべての国民が身分や人種・性別などに関係なく、「能力(学歴・資格・経験)」によってのみ平等に評価される社会をつくることだった。ブレアは、政権を担うにあたってこう宣言した。

 「エリートのイギリスは終わりました。新しいイギリスは能力主義(メリトクラシー)社会です」

 労働党政権は教育や職業訓練(積極的雇用政策)に予算を投じ、これによって移民を中心に、高い能力を持ちながらもそれを発揮することができなかったひとたちが階級の壁を越え、社会の主流に「なり上がる」ことが可能になった。

 これは素晴らしいことだが、だからといってすべての国民が教育の恩恵を受けて中流階級になれるわけもなかった。こうして、学校をドロップアウトし、まともな仕事につくこともできない若者たちが公営住宅にふきだまることになった。「基本的な読み書き計算能力を習得して公立高校を卒業する生徒は、貧しい白人男子では15%、同じく女子では20%にすぎない」のだ。

 労働党政権はその出自(労働者の党)から、こうした貧困層には比較的温情的で、失業保険や児童手当、生活保護などで生活を支えた。そうすると社会から排除された若者たちのなかに、生活保護を受けながら児童手当目当てに子どもをたくさん産むという「貧者のライフスタイル」が生まれた。これが「チャヴ」だ。

 2000年代になると、保守派のメディアを中心に、福祉にただ乗りする「チャヴ」を問題視する記事が急増していく。日本における「ナマポ(生活保護)バッシング」と同じで、メディアとネットの「チャヴ・ヘイト」を政治家が利用することでひとびとの視線は急速にきびしくなっていった。

 2006年の調査では、イギリス国民の4分の3が経済格差が「大きすぎる」と考えていたのに、貧困層の社会保障にもっと税金を使うべきだとするのは全体の3分の1をわずかに超える程度だった。1986年には国民の半数近くが無職の夫婦を「生活困窮者」に分類すべきだと感じていたが、2005年になるとそれが3分の1あまりに減った。1986年には、貧困の原因を怠け癖や意志の弱さと結びつけるのは19%だったが、20年後には27%まで増えた。

 2010年、労働党から政権を奪還した保守党のデイヴィッド・キャメロンは、「無料(ただ)で何かが得られる文化を終わらせる。合理的な条件の仕事につかないのであれば、生活保護は打ち切る。例外はない」と宣言した。

 この公約どおり、保守党政権は妊娠中の健康維持のための助成金を廃止し、ひとり親に対して子どもが5歳になったら仕事を探すこと(10歳からの引き下げ)を義務化し、児童手当を廃止するなどの「緊縮」に邁進することになる。

 この「緊縮」によってイギリスの貧困層にかろうじて残っていたコミュニティ(共同性)が崩壊していく過程は、ブレイディみかこ氏の『子どもたちの階級闘争』や近刊の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など一連の著作でリアルに描かれている。

 

チャヴは「白人」だから嘲笑されても構わないという風潮

 オーウェン・ジョーンズによれば、2004年に「チャヴ・ヘイト」がイギリスのサブカルチャー(ネット論壇)の中心に躍り出た。

 チャヴの職業は「荒っぽい建設作業員や屋根職人、配管工、露天商、機械工、警備員」で、チャヴェット(女性のチャヴ)は「美容師、エステティシャンの見習い、清掃員、バーのホステス」。「男女とも〈リドル〉〈ネットー〉〈アルディ〉といった安売りスーパーマーケット・チェーンのレジ係をしていたり、ファストフードのレストランであくせく働いていたりする」が、それより一般的なのは「公営住宅に住む貧しい労働者階級の家庭の出身で、収入は失業手当から得ている」ことだ。

 「荒野でチャヴを見つける」というサイトでは、チャヴの外見を「最新流行の偽デザイナーズ・ファッションやブランド物のスポーツウェア、死んでも欲しいアクセサリーの数々、驚くほど豪華な九金の宝飾品(ブリング)」としたうえで、「さあ、誰が見つけられるか、家族みんなで楽しもう…」と勧めている。

 ジョーンズによれば、チャヴをバカにして楽しむのはネットだけでなく、いまではテレビのドキュメンタリーやバラエティ番組、トークショー、さらには映画にまで拡大しており、「チャヴテイメント(チャヴのエンターテインメント)」の様相を呈している。

 なぜチャヴはここまで嘲られ、罵られ、エンタメ化されるのか。それは彼らが「白人」だからだ。

 「リベラル化」するイギリス社会では、PC(政治的正しさ)のコードがきわめてきびしくなり、女性や外国人(黒人やムスリム)、LGBTなどマイノリティ(少数派)への批判は「差別」と見なされ許容されなくなった。しかしこれは逆にいえば、マジョリティ(多数派)はどれほど攻撃してもかまわない、ということでもある。そしてイギリス社会のマジョリティは「白人」だ。

 こうした構図は、アメリカにおける「プアホワイト」や「ホワイトトラッシュ(白いゴミ)」と呼ばれる白人貧困層(その多くが熱烈なトランプ支持者)への批判と同じだ。下記はジョーンズがリベラルのチャヴ・ヘイトについて述べたものだが、そのままトランプ支持者にも当てはまるだろう。

 「リベラルなチャヴ・ヘイターは、白人労働者階級を「社会階級」ではなく「民族」としてとらえ、社会問題を経済的要因ではなく文化的要因のせいにする。問題があるのは彼らの生き方であって、社会の不平等な構造ではない。白人労働者階級が抑圧されているとしたら、それは本人が無能だから、というわけだ。民族的マイノリティに対する大規模な差別が、失業や貧困、さらには暴力などの問題の原因になっていることを認める一方で、白人労働者階級の人々については同じことが当てはまらないと考えるのだ」

 「多様性」を重んじるイギリス社会では、チャヴは「多文化主義のなかで混乱し、大量移民による文化の荒廃から自分たちのアイデンティティを守ることに取り憑かれた人々」であり、「人種差別主義者」の別の名前なのだ。

 

イギリスでは働いていても最低生活水準以下の世帯が350万も

 オーウェン・ジョーンズの『チャヴ』では、ニューカッスルに近い廃坑の町が紹介されている。そこでは、仕事を失った男たちがあふれている。ジョーンズがドラッグが蔓延する理由を訊くと、「やることが何もないないからよ。だからみんな、そうだ、ちょっとドラッグでもやってハイになろうと思うの。暇つぶしになるから」との答えが返ってきた。

 とはいえ、若い男が昼間から街でぶらぶらしているわけではない。彼らは別のところにいるのだ。新聞販売店の女性2人がこう語った。

 「若い男の人なら――学校で会えるわ。私たちの子供が通っていたころは、学校に男の人なんてひとりもいなかったけど。でも、いまは子どもたちの送り迎えをしてる」とひとりが言う。「なぜって。奥さんたちは清掃の仕事につけるから、男のほうが子供の世話をして、学校の送り迎えをしているのよ」ともうひとりが説明する……。

 近くの薬局で働いている女性の夫は、工場が閉鎖されて2005年に失業した。それから5年たっても夫は無職のままだ。

 「何もないの。このあたりは荒廃してしまって本当に何もない……私は少し勤務時間を長くしたんだけど、何よりひどかったのは、パートタイムで働いているだけなのに、夫が職業紹介所に行くと、「奥さんの仕事を辞めさせなさい」と言われたこと。もちろん私は辞めなかった。代わりに勤務時間を増やしたら、収入は少し増えたけど、その分タックス・クレジットが減った」

 あまりにも失業が長引いて、彼女の夫の自尊心は打ち砕かれた。

 「ひどい話よ。(夫が)求人の応募するんだけど半分は返事もなくて、しかたがないから電話して面接を受ける。彼はあちこちの企業に電話して、『こちらから出向いて1週間、無償で働きますので、いいと思ったら雇ってください』と言う。煉瓦の壁に頭を打ちつけているような気分ね」

 ジョーンズによれば、就労者のいない貧困世帯は300万だが、このほかに、働いていても最低生活水準以下の世帯が350万ある。イギリスは1999年に最低賃金を導入し、2010年で22歳以上の時給が5.8ポンド(約840円)だが、17歳以下は3.57ポンド(約520円)、18歳~21歳の労働者は4.83ポンド(約700円)だ。

 低収入の労働者にはワーキング・タックス・クレジット(働いている親やひとり親に、最高で年額約30万円を支給。子どもの保育費用によっては加算もあり)と、チャイルド・タックス・クレジット(16歳未満の子を持つ親に、最高で年額8万円を、さらに子どもひとりにつき最高約40万円を支給)があるが、資力調査を嫌って多くの対象者が請求していないという。

 さらには、タックス・クレジットがあることで、低賃金が「柔軟な」労働市場の必要悪と見なされ、「実質的には、低い給与に国が助成金を出している」との批判もある。

 私がブリストルで見たのも、そんなイギリスの寒々しい光景だったのだろう。

ブリストルの公園のゴミ箱     (Photo:ⒸAlt Invest Com)

 

 

 

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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