従業員の心身の健康を維持することは、企業にとって不可欠である。単なる社会貢献ではなく、生産性の低下などによる損害を防ぐためにも重要だ。社員食堂やフィットネスクラブの補助など、ウェルネス・プログラムを提供する企業は多いが、それが十分に機能していないだけでなく、従業員の心にさらなる負荷をかけていることもある。メンタルヘルスの問題を解消するために、企業、リーダー、従業員は何をすべきなのか。


 従業員のウェルネスという概念は、新しいものではない。だが最初から、雇用者が、従業員が通うフィットネスクラブの会費や瞑想のレッスン、食事のケータリングを補助するのが当たり前になった、80億ドル規模の産業だったわけではない。

 1864年、ペンシルベニア炭鉱労働法が制定され、炭鉱労働者の黒肺塵症を予防するために最低限の換気が保証された。これが、米国で職業による健康関連の問題を法律で制定した始まりである。数年後、マサチューセッツ州はさらに踏み込んだプランを実施し、工場検査プログラムを設けた最初の州になった。1891年には連邦政府もその重要性を理解し、全国の炭鉱で最低限必要な換気要件を義務化し、事業者が12歳未満の子どもを雇用するのを禁止した。

 以来、とりわけ過去50年間、工業経済からデジタル経済へと移行するにつれて、職場におけるウェルネスは極めて重要な話題となった。労働者の身体的健康と安全を日々脅かす仕事は減ったものの、いまは誰もが慢性的なストレスに悩まされている。

 メンタルヘルスの重要性に注目する雇用者は、増え続けている。世界の至るところで、メンタルヘルスの問題が障害や病気を引き起こす主な原因になっているからだ。また最近の研究によると、従業員が自分の健康と幸福感を追求するときに最大の壁になるのが、職場の文化だという。

 それ以上に、この問題にきちんと取り組まなければ、高い代償を払うことになる。米国では毎年、成人の5人に1人がメンタルヘルスの問題に苦しみ、企業の労働損失日数は2億日逸失利益は2000億ドルに上る。

 その結果、多くの米国の雇用者は、単に健康保険を提供し、安全規制を順守するだけでは済まなくなった。「心理的安全性」という考えのもとに、従業員をサポートする環境をどのように構築すればよいのか模索し、しばしば「ウェルネス・プログラム」と呼ばれる華やかで多様な福利厚生サービスによって、従業員の心身の健康を最大限に高めようとしている(すぐに思い浮かぶのは、世界各地のグーグルのオフィスにあるカラフルな遊び場、テーマパークのような会議室、データ管理されたおやつだろう)。

 こうした風潮に、消費者向けウェルネス業界は耳をそばだてている。少なからぬ数の企業が主要な製品やサービスのビジネスモデルを変更し、消費者直販(D2C)ブランドから企業向け福利厚生サービスの巨大企業へと変貌を遂げている。

 ヘッドスペース・フォー・ワークは、人気の定額制瞑想アプリを世界各地の企業に販売しているが、従業員に対して、単純だが重要な約束を掲げている。「人々が幸せになれば、ビジネスは健全になる」。FitBit ヘルス ソリューションズは、もっとあからさまに言う。「ビジネスリーダーは、医療費の上昇が企業と従業員の負担になることに気づいています」。そして、こんな謳い文句で「朗報」を提供する。「企業のウェルネス・プログラムへの投資は……素晴らしいビジネスです」

 彼らは間違ってはいない。炭鉱から会議室に至るまで、雇用者の動機はいつも単純だ。すなわち労働者が健康でいれば、企業のコストは下がるはずだ。

 だが、こうしたプログラムによってビジネスの成果が上がるからといって、従業員の日常生活を向上させることを第一に考えているとは限らない。求職者にとっては、求人検索サイトグラスドアの星5つのレビューに出てくる、無料のケールサラダや出張マッサージなどの特典はキラキラ輝いて見えるかもしれない。しかし従業員は、こうした福利厚生サービスを暗黙の取引のように感じることもある。