映画「1987、ある闘いの真実」は1987年1月、当時の軍出身の全斗煥(チョン・ドファン)大統領の政権下、ソウル大学の学生が学生運動での行き過ぎた取り調べで死亡、これを警察が隠ぺいしようとしたことに民衆が反発して、国民的な民主化要求運動へと発展していく実話を描いた映画である。87年当時、確かに拷問は行われていたようだ。この学生が死亡した水攻めは、気絶するまで水につける過酷なものであり、これを受けた人は死の恐怖を感じたといわれている。

 しかし、現在はこのような拷問は行われていないはずだ。というより、民主化された社会では不可能である。この映画が公開されたのは文在寅政権になった後の17年12月27日であるが、あたかも現在も行われているかのように描写されている。

 映画の中で強大な権力に立ち向かう学生の姿を見て、検察を改革する必要性を感じた人が多かったのだろう。文在寅政権はそれを利用したと考えられる。

 確かに韓国の検察の力は強大である。一般的な捜査でも警察を指揮する。そして検察はその強大な権力ゆえに政治にも介入するといわれる。私も、韓国の国民が検察改革を進めるべきだと考える気持ちを理解できないわけではない。

 加えて、文大統領が検察改革に熱心なのは、盟友である故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が検察の捜査によって自殺に追い込まれたことがトラウマになっているのだろう。政権交代した後、検察が前政権を圧迫できないようにしたいとの思いがあるからだといわれる。

 しかし、韓国の大統領が任期末に逮捕されたり、家族から逮捕者を出したりしているのは、検察が悪いとは一概に言えない。それは基本的に、韓国の社会風習が原因である。韓国ではいったん大統領となり権力を握ると、多くの人々がすり寄ってくる。大統領が応じなければ、大統領の身内にすり寄る。大統領に力があるうちは不正が暴かれることはないが、大統領の力が弱まってくると、途端に手のひらを返すように攻撃する。特に文政権は過去の保守党政権に対し徹底的に弾圧してきたので、その報復を恐れているのであろう。

 いずれにせよ、こうした社会風習を背景とした不正を摘発する検察を改革するためには、疑惑がないクリーンな人が当たるべきである。しかし、曺国氏は「玉ねぎ男」と言われるほど疑惑だらけである。そのような人が行う検察改革は決して韓国にとって良い改革にはならないのではないだろうか。検察改革という言葉に魅了され、曺国氏をめぐる疑惑から目を離してはならない。文政権は議会と行政組織、軍、裁判所、言論を抑え込んでいる。これに加えて検察も抑え込めれば、自分の思うように国政を動かせると思い込んでいる。実に危険な状況である。

曺国氏の疑惑隠しに
検察総長外しを模索

 曺氏の疑惑を調査する検察チームのトップ、尹錫悦検察総長は司法試験を9回失敗し、10回目に合格した苦労人であり、朴前大統領の大統領選不正疑惑では検察上層部と対立し、地方の高検検察庁のヒラ検事に降格された人物である。その件について後日国会で問われ、「指示が違法なのにどうしてそれに従うことができるのか。私は人には忠誠を誓わない」と答弁した逸話がある。