それに、私があと10年若ければ……。もう80歳になったら、これ(砲丸)は作れない。僕はいま79歳で、あと半年で80歳になっちゃいます。砲丸の素材はだいたい10キロくらいあるんです。砲丸一つ作るのに、14工程かかりますから。何回も機械に乗っけたり下ろしたりしなくてはなりません。選手からはうちの砲丸を使いたいという希望が多いんですが、今回はできたとしても、次のリオデジャネイロ五輪は無理ですから、このへんで引退したいと思って。

 もうひとつの理由は、引退すれば取材がこない。でも逆になっちゃいました(笑)。

辻谷には3人の息子がいるが、3男が砲丸づくりを手伝っている。

辻谷 ええ、途中まではやってもらいます。ですが、最終の仕上げになると「親父、まだちょっと無理だよ」と。跡を継いで復活するかどうかは、どうでしょうか。これはせがれの気持ちで聞いてみないとわかりません。やはりせがれも親父の製品を超えるようなものができなければ、オレは出さないと言っていますから。

満足な製品をつくるため
鋳物工場で修業

辻谷が砲丸づくりを始めたのは、1968年というから、今から40年以上も前にさかのぼる。日本の砲丸づくりに大きな転機が訪れたのは1983年のこと。日本陸連が国際規格を採用することを決めたからだ。それまで例えば一般男子用の砲丸は、7260グラムよりも軽くなければOKという大雑把なものだった。国際規格は直径が125.2~125.8ミリ、重さの誤差が7260グラムに対して、プラス5~25グラムというものだった。

辻谷 100グラムくらいの誤差は、どうでもいいっていう世界から、誤差は25グラム以下になっちゃったんですよ。それまで日本では、僕も含めて正直、いい加減な砲丸を作ってた(笑)。