ただし「事業」とは言っても労働集約型なもの。貯金は1000万円くらいになったんですが、お金を積んでいくことには価値を感じられなくて。もっと、「仲間と未来を作る」ということに挑戦したいと思っていました。

 一方で中村は、学生時代からクリエーターの世界にいた人間でした。新卒の会社の同期として出会いました。実は僕が学生時代に関わっていた、宮下公園に関するナイキのプロジェクトがあったんですが、彼がその設計を担当していたんです。

 彼は社会人として「ビジョンをビジネスに展開していく」という経験を詰んでいるところで、一方の僕は「ビジネスにデザインの知識が必要だ」と考えていました。そんなことを2人で話している中で、「一緒にやればいいじゃん」となっていきました。その会社はリストラもあったので、一度別々の会社に行くことになるのですが、3.11(東日本大震災)があって、中村が「誰かのためになる仕事をやりたい」と思いを語るようになって、起業を決めました。

今振り返れば、“やってはいけない起業”だった

 そんな背景があったので、2人で「偉大な会社を作ろう」とずっと語っていました。起業のためにまとめていたメモがあるんですが、その一番最初に書いた言葉は、「世界に通じる、未来を作る、アップルになる」でした。でも、事業はまだ決まっていないという。さあ何をする? と作ったのがコワーキングスペースのco-baでした。会社の同期2人で起業し、2人が共同創業者。2人の株式が半々というのは、起業の教科書的に言えば、最もやってはいけない起業ですね(笑)。

 ただ幸いなことに、時代の流れを読む力があったのか、コワーキングスペースが流行してきました。外と中、違う職種同士が混ざっていく、コラボレーションできる場が必要になる。それをどうみんなに伝えるかと考えた時に、同じく流行の兆しがあったクラウドファンディングを見て「これだ」と思い、CAMPFIREを使って資金を集めました。これによって、co-baのことがアーリーアダプターに広がり、しかも広告効果もある。中村のデザインの力やコンテクスト作りがうまくハマったと思いました。

 コワーキングスペースがきちんと運営できるようになったので、企業として死なないですむ体制ができました。メディアにも出て、入居者には「(立地が不便でも)co-baに行きたい」と言ってもらえるようになりました。今では全国20ヵ所でフランチャイズ展開しています。当時は25歳か26歳のころ。ある意味では、“男の子的な承認欲求”が満たされてしまった状況でした。ですが一方で、事業的な満足度はまだまだでした。でco-baを拠点にして、もともと中村がやっていたデザインの事業をやろうとなり、3期ほどやってきた中で出てきたのがリノベーション住宅の仲介をする「cowcamo」の事業でした。