橘玲の世界投資見聞録 2019年10月4日

エチオピアは、ユダヤ教と原始キリスト教、7世紀からはイスラーム、
そして今はプロテスタントが共存するまれにみる「宗教多様性」の国
【橘玲の世界投資見聞録】

6世紀以前の宗教文化が色濃く残っている

 エチオピアの特徴は、イスラームによって海への出口をふさがれたことで「陸の孤島」になり、6世紀以前の宗教文化が色濃く残っていることだ。ローマ時代のキリスト教がどのようなものか知りたいのなら、世俗化したカトリックではなくエチオピア正教を見た方がいい。これはユダヤ教も同じで、ファラシャはトーラー(モーゼ五書)を信奉するものの、4~5世紀に成立したタルムードをいっさい受容していない。

 エチオピア教会は、キリスト教世界のなかでもっともきびしいとされる断食を義務づけており、その長さは平信徒が年間約180日、聖職者は250日にのぼる。毎週水曜日と金曜日は原則断食日で、それ以外に以下のものがある。なお、エチオピア歴は西暦の9月11日を正月とし、1カ月を30日とする12カ月と5日(閏年は6日)の計13カ月からなる。


・第1月と第2月:デブレ・クスクヮムの断食(40日)
・第3月と第4月:イエス生誕祭前の断食(43日)
・第5月:イエスの洗礼前日の断食(1日)
     ニネヴェの断食(3日)
・第6月から第7月:四旬節の断食(55日)
・第7月から第11月:12使徒の断食(10~40日間)
・第12月と第13月:聖母被昇天の断食(15日)

 エチオピア正教では、断食は1日1食で、肉類、卵、乳製品など動物性タンパク質は口にしない(魚については見解が分かれていたが、1993年に総主教によって公式に禁止された)。

 とはいえ、こんなきびしい断食を1年じゅうやっていては生活できなくなってしまう。聖職者は前日の夜10時から断食に入り、午後3時に聖餐式に臨むまでなにひとつ口にしないが、一般信徒は動物性タンパク質を摂取しないだけの断食でもよしとされるようだ。

 結婚式を教会で行なう典礼結婚は、夫婦いずれかがなくならないかぎり解いてはならないとされ、離婚には破門宣告というきびしい罰則が科せられる。だがここにも抜け道があって、結婚の署名を役所で行なうことも認められている。

 エチオピア正教には食物の禁忌があり、ゲエズ語で「父と子と聖霊の御名において」と唱えながら屠られた家畜(牛、ヒツジ、ヤギ、鶏)の肉しか食べてはならない。これに対してムスリムはアラビア語で「恵み深きアッラーの名において」と唱えながら屠らなければならないので、肉屋は別々に設けられている。食事が肉料理だとキリスト教徒とムスリムは同じ食卓を囲むことができず、キリスト教徒の結婚式にムスリムを招待する場合、ムスリムのための料理を別に用意する必要がある。

 エチオピア正教ではイスラームと同様に豚肉を食べないが、カトリックやプロテスタントは食べられるし、断食の義務もない。そのため、同じキリスト教徒でも食事を別にすることがある。

 こうした習慣のちがいを見ても、エチオピア正教がユダヤ教や古代キリスト教の影響を強く残していることがわかるだろう。

イエスとライオン(ラリベラ) (Photo:@Alt Invest Com)

 

「キリスト教徒とムスリムの融和・共存が実現している国」の内実

 エチオピア正教会は、国内に3万2537の教会、信徒3400万人、聖職者36万4765人を抱えるエチオピア最大の組織だ(2000年)。それに対してムスリム人口は2503万7647(2007年)と人口の34%に至っている。エチオピアとイスラームが結びつかないのは、ムスリムの多くがエリトリアやソマリアに近い紅海沿岸部や南部に暮らしていて、観光地が集まる北部に少ないからだろう。

 エチオピアにおいては、正教が国教(支配者の宗教)で、イスラームは支配される者の宗教だった。民族的には、アクスム王朝を築いたティグレ族や、アクスム滅亡後に南進したアムハラ族が「支配民族」、アラビア半島から現在のソマリアに渡り、エチオピア南東部に入植したとされるガラ族(オロモ族)やソマリ族などが「被支配民族」ということになる。

 エチオピアはしばしば「キリスト教徒とムスリムの融和・共存が実現している国」として賞揚されるが、その内実は複雑で、聖者崇拝とスーフィズムの伝統をもつ「穏健派」と、こうした慣習を「異端」とするイスラーム復興主義者(急進派)が対立している。エチオピア政府は「キリスト教徒とムスリムの融和」を説く「アハバシ主義」を奨励・教宣し、それをアメリカや国際社会が後押ししている。これはエチオピアが、「アフリカの角」を席巻するイスラーム復興主義の防波堤役を演じてきたからだ。

 「支配宗教」としてのエチオピア正教の地位を揺さぶるのはイスラームだけでなない。近年、アディスアベバなどの都市部では、若者を中心にプロテスタントへの改宗が進んでいるという。断食の義務に象徴されるように伝統的な正教は窮屈で、「グローバリズム」に馴染んだ若者にとっては、世俗的で開放的なプロテスタントの方がずっと「クール」なのだろう。

結婚式に参加する子どもたち(アディスアベバ)     (Photo:@Alt Invest Com)

 

 多言語・多民族国家であるエチオピアは、古代地中海世界の一部としてユダヤ教と原始キリスト教を受け容れ、エジプトのコプト教(東方諸教会)の影響下で発展し、7世紀以降は四方からイスラーム化の圧力を受け、大航海時代にはポルトガルがカトリック(イエズス会)を持ち込み、いまはプロテスタントの人口が増えている。

 こうした「宗教多様性」もまた、この国の魅力を構成しているのだろう。
 

 

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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