イングランド防衛同盟という新たな極右派の団体」の台頭
ジョーンズは『チャヴ』のなかで、イングランド防衛同盟(EDL/English Defense League) という「新たな極右派の団体」の台頭を懸念していた。イギリスのジャーナリスト、ジェイミー・バートレットは『闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏社会の内幕』(CCCメディアハウス)と近刊の『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』(双葉社)でこの極右団体を取材した。
2009年3月、ロンドンの北約50キロにあるルートンの町で、数人のイスラーム復興主義者が、イギリス軍のイラク、アフガニスタン駐留に抗議する計画を発表した。ルートン在住で、現在はトミー・ロビンソンと名乗っているスティーブン・ヤックスリー・レノンは、この記事を読んで、「ルートンがイスラム過激派に支配されたわけではない」と世界に示すために、兵士たちを応援するカウンター・デモを組織した。
最初のデモは数十人規模のものだったが、ちょっとした小競り合いがあって、その顛末が地元紙に取り上げられた。ロビンソンとその友人は、ルートンのイスラーム組織の会合や勧誘を妨害するために新たな団体を結成することにして、「ルートン人民連合(UPL)」を名乗った。
2009年6月、より大規模な2回目のデモを行ない、数百人が集まって警察と衝突し9人の逮捕者が出た。翌月には極右団体「統一イギリス同盟(UBA)」と共闘したデモが敢行され、暴動になって多数の逮捕者が出た。
ロビンソンはカメラマンに450ポンド払って、その日の出来事を短い動画にしてユーチューブに投稿した。するとたちまち、イギリスじゅうから支持のメッセージが届きはじめた。この新たな運動の参加者たちは酒場に集結し、将来について話し合い、国際的な影響力を持てるようにオンライン団体を結成することに決めた。ロビンソンは友人とともにFacebookに登録して、新たなグループを「イングランド防衛同盟(EDL)」と名づけた。
Facebookのこのグループには、作成後数時間もしないうちに数百人もの人間が登録した。2010年の終わりまでに、EDLはSNSを使ってイギリスじゅうで約50回の街頭デモを組織し、なかには2000人もの参加者を集めたものもあった。団体のサイトでは平和的なデモを誓っていたが、EDLの活動には酔っ払い、暴力、反社会的行動、反イスラームのヘイト発言、逮捕などがついてまわり、ムスリムや左翼活動家たちとはげしく衝突した。これによって団体の評判は広まり、メディアへの露出も増えて、それがより多くのひとをEDLのFacebookページやウェブサイトに誘い込むことになった(EDLのデモの動画は団体のホームページ(http://www.englishdefenceleague.org.uk/)で見ることができる)。
だがバートレットによると、2013年前半、EDLは内部抗争で崩壊寸前で、ロビンソンは大量の殺害予告を受けて辞めたがっていたという。ところが同年5月22日、2人のイスラーム過激派が南ロンドンの雑踏の真っ只中で、白昼堂々英軍兵士を殺害するという衝撃的な事件が起きた。その後の数週間でEDLのオンライン支持者は急増し、ロビンソンは主流メディアのいたるところに登場することになって、辞めるに辞められなくなった。
その後、ロビンソンは法廷侮辱罪などで逮捕と保釈を繰り返し、EDL代表の座は退いたものの現在も「極右活動」を続けている。
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