世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。
その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著が、なんと大手書店のベストセラーとなり、話題となっている。BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した本だ。なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか?
脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』が、発売後たちまち第6刷を突破。「日経新聞」や「朝日新聞」にも大きく掲載。“HONZ”『致知』『週刊朝日』でも書評が掲載された。
過日、立命館アジア太平洋大学(APU)創立20周年を記念して、東京駅直結の立命館東京キャンパス(東京駅直結・サピアタワー)に約100名が集結。「歴史とは何か?」と題した出口氏講演会の6回目をお送りしよう。

半島から漢字や仏教を<br />教えてもらったときに<br />日本は何で支払っていたのか?Photo: Adobe Stock

外国との関係は
「お金の決済」で見ると面白い

半島から漢字や仏教を<br />教えてもらったときに<br />日本は何で支払っていたのか?出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県美杉村生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年4月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命保険株式会社に社名を変更。2012年、上場。社長、会長を10年務めた後、2018年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。おもな著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎新書)、『人類5000年史I・II』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇、中世篇』(文藝春秋)など多数。

 前回は、鎖国の話をしました。
 今回は、もう1つ面白い例を挙げましょう。
 鎖国をしたとき、日本には、世界中、誰もが買いたがる「世界商品」がありませんでした。

 外国との関係は、「お金の決済」で見るのが一番わかりやすい。

 諸外国から仏教や漢字やその他の物品や技術を買ったとき、当時の日本は代金を何で支払っていたのか?

 日本は、諸外国からほしいものがたくさんあります。

 まず、国内に「鉄」がなかったので、朝鮮半島の鉄がほしかった。

 この前、僕がある中学校で講演したとき、

「外国から漢字や仏教などを教えてもらったときに、
 何で代金を払っていたと思いますか?」

 と質問したら、

「日本は魚がいっぱいとれるので、魚ではないですか」

 と、ある中学生が答えてくれました。

 僕が、

「ええ答えやけれど、腐らへん?
 昔は冷蔵庫がないので、すぐ腐っちゃうで」

 といったら、その子は頭を抱えていましたが(笑)、すぐに、

「じゃあ、お米ですか?」

 と返してきた。僕もすかさず、

「いや、お米は朝鮮半島でもとれるし、
 米ってえらい重いで」

 と返答。なかなか面白いやりとりでした。

 この前、APU(立命館アジア太平洋大学)の学生がインターンで宮崎の農家に行き、そこでもらってきたお米をいただいたのですが、かばんに入れたらかさばるし、そのうえ、えらく重い!(笑)

 だから、決済手段はかさばらないものがいい。
 そうすると、必然的に「貴金属」になるのです。

 ただ、当時の日本には、金も銀もなかった。

 となると、人間、つまり兵隊しかない!

 当時は、朝鮮半島も中国も三国や南北に分かれて争っていた。
 ケンカをしているときに、助っ人ほど嬉しいものはないですよね。

 運動会の綱引きでも、接戦でこう着状態のときに、片方に3人ぐらい入ったらすぐに決着がついてしまうでしょう。

 あんな感じで、ケンカしているときは、助っ人がきてくれるのが一番ありがたい。

 これは、歴史書にもきちんと記述があり、日本から卑弥呼が魏の朝廷に遣いを出したときに持っていったものは、生口(せいこう)、つまり人間でした。

 当時の貧しい日本から、中国のような先進国に持っていくものはありません。
 でも、元気な若者を10人(男性4人、女性6人)連れてきましたから、どうぞ自由に使ってくださいと、いったのですね。

 そこで、「よしよし」といわれて、金印(きんいん)をもらったのです。

 当時の日本は、ひと言でいえば、傭兵を半島に送っていたスイスのような「傭兵(輸出)国家」です。

 この傭兵国家という戦略には条件があって、ケンカをしているときは大事にされるが、ケンカをしなくなって統一国家ができたら、傭兵は悪いことをするのでうっとうしがられる。
 随、唐という世界帝国ができたときに、日本の「傭兵国家戦略」は破綻してしまったのです。

 過去の僕の『哲学と宗教全史』全連載は「連載バックナンバー」にありますので、ぜひご覧いただき、楽しんでいただけたらと思います。