9月に控訴審判決が言い渡された、愛知県の三つ子二男虐待死事件。ただでさえ育児は大変な労働だが、とりわけ多胎育児の過酷さは、想像を絶するものがある。(ジャーナリスト 横田由美子)

多胎育児の過酷さが
明らかになった裁判

三つ子のイメージカット赤ちゃん1人でも育児はラクではない。ましてや双子や三つ子ともなれば、親にかかる負担は時に過大なものだ Photo:PIXTA

 最近、親が子どもを虐待死させるという事件が珍しくなくなった。公的機関などのサポートが、実際の虐待の現場に追いついていないことも問題だ。

 都会になればなるほど、隣近所との付き合いが薄くなっているということも、要因のひとつであると、前々から指摘されている。面倒な近所付き合いをしなくて済むようになった代わりに、生活上で助け合うということもなくなった。それこそ、そうしたいい意味での「互助会的なシステム」が機能すれば避けられたかもしれない事件の判決が最近下った。

 9月24日、三つ子の二男(死亡当時11ヵ月)に対する傷害致死事件の控訴審判決が名古屋高裁で母親に言い渡された。一審・名古屋地裁岡崎支部の裁判員裁判で懲役3年6ヵ月の実刑判決が既に言い渡されていたが、弁護側は、執行猶予付き判決を求めて控訴。結局、名古屋高裁の高橋徹裁判長は、「原判決の量刑は重すぎて不当とはいえない」などとして控訴を棄却した。

 よく日本の警察は、「事件が起きなければ動かない」と非難される。動かないことが事件発生の原因になりかねないことを現場の刑事や警察官もわかっていながら、それでも動かない。背景には、事件の大小にかかわらず、数が多すぎて現場の人数が追いつかず、処理が間に合っていないということが大きい。

 それゆえ、現場の刑事たちは勉強する暇がなく、犯罪に関する法的知識が薄かったりして本来の被害者を加害者扱いするなど、超初歩的なミスもあるし、自らの知識が深くない分野では、精緻な捜査ができない。こうした現場の課題を解消するには、そうした土壌を生み出している警察庁全体の階級システムや予算の問題などを解決する必要がある。

 今回の多胎育児の過酷な現状も、捜査段階というよりもむしろ、裁判を通じてようやく世に明らかにされたというべきだろう。

 もうひとつ明らかになったのは、福祉の現場もまた、幼児虐待に対してノウハウの蓄積が欠如していることや、経験不足で四苦八苦していることだ。