太陽電池の敗退は、日本の産業政策の失敗も一因だ。ぶれない政策にこそ、投資資金は流入する。

 シャープのある首脳は、苦虫を噛みつぶしたような表情を隠さなかった。7年連続で死守してきた太陽電池生産量世界一の座を、2007年はドイツのQセルズに奪われることが確実になった、との情報が飛び込んできたのだった。

 第3位に急浮上した中国サンテック・パワーの追撃からはからくも逃げ切ったが、それも0.6ポイントと僅差だ。危うく、首位から3位まで一気に転落するところだった。

 英国人のCEOら4人の創業者が、ドイツでQセルズを設立したのは1999年。2001年に生産を開始し、わずか4年後の2005年に、フランクフルト証券取引所に株式を公開した。

 サンテックは太陽電池の研究者だったCEOが2001年に創業。2005年に中国企業として初めて、ニューヨーク証券取引所に上場した。

 Qセルズはここ5年で50倍、サンテックに至っては、4年で100倍と、両社の収益は急激に拡大した。一方のシャープの2008年3月期の太陽電池事業は、売上高は1510億円と前年実績を0.3%下回り、36億円の営業赤字に終わった。

 シャープは1959年に太陽電池の研究に着手し、人工衛星や灯台用で実績を積み、1994年に住宅用の生産を開始した。京セラ、三洋電機、三菱電機といったその他日本メーカーも、75年前後に開発に着手し、商業用から民生用に事業を展開していった。2005年までは、日本メーカーが生産量シェアの半数以上を握る、“お家芸”だった。

 では、なぜQセルズとサンテックに逆転されたのか。

 理由は3つある。第一に、太陽電池がコモディティ化したこと。製造ノウハウは製造装置に集約されるようになり、米アプライドマテリアルなどの装置メーカーは、製造ライン丸ごとを納入し始めた。技術における参入障壁が大きく引き下げられ、地代や人件費などのコストに競争力のベクトルが移るという、半導体メモリや液晶パネルと相似形の歴史を刻み始めたのである。しかも、半導体ほどの巨額投資の必要はない。新規参入企業はすでに世界で200社を超える、といわれている。

 第二に、Qセルズとサンテックが、ドイツが採用した手厚い優遇政策を追い風にしたこと。ドイツは2000年に「再生可能エネルギー法」を制定、2004年に「フィード・イン・タリフ」と呼ばれる電力買い取り制度を導入した。電力会社は家庭や事業所が太陽光発電した電力を、通常より3倍近く割高な固定価格で20年間にわたり買い取る義務を負う。Qセルズでは39%、サンテックでは35%がドイツ市場における売上高だ。

 第三に、そうした政策を背景に、安定したキャッシュフローを見込んで、投資マネーが流入したことだ。Qセルズもサンテックも、上場時に調達した資金は4億ドル。それ以降、両社は生産規模を急速に拡大していった。