シュンペーターの事跡については大量に書物が出版されているが、最初の1行でとまどうことになる。すなわち、シュンペーターは「オーストリア出身の経済学者」「オーストリア帝国出身の経済学者」「モラヴィア出身の経済学者」「アメリカの経済学者」、などと出てくるのである。

 実はいずれも正しい。中部欧州の歴史が頭に入っていれば問題ないのだが、日本人にはなかなか把握しにくい地域である。正確な表現は、たとえば以下のようになる。「オーストリア=ハンガリー二重帝国モラヴィア地方の小さな町トリーシュに生まれた」(注1)。もっともくわしい出自はロバート・ロアリング・アレンによるシュンペーターの評伝(注2)にある。アレンはシュンペーターの故郷、トリーシュまで足を延ばして徹底的に家系まで調べていて驚く。

 人は世界の歴史を自国から眺めるため、どうしても単線的な視点で考えがちだ。イノベーションの重要性に世界で初めて気が付いたシュンペーターとは、そもそもドイツ人であり、ファシズム時代にアメリカへわたり、米国籍を取得して活躍した経済学者だと考えがちなのである。ドイツとアメリカという大国から世界を眺めるためであろう。

モラヴィアの小さな町「チェスチュ」で生まれる

 シュンペーターはドイツ語を母語としたドイツ系の家系出身だが、生まれたのはモラヴィアの小さな町である。モラヴィアとは現在のチェコ東部のことだ。チェコ西部はボヘミア、北東部の一部がシレジアである。地図を広げてシュンペーターの故郷トリーシュ(Triesch)を探しても、たぶん見つからないだろう。トリーシュはドイツ語であり、現在は使われていないからだ。

 現在の町の名称を探すためインターネットで検索してみると、一橋大学付属図書館のホームページに展示物の資料や年譜が掲載されており、「チェスチュ」という名称が出てくる。チェコ語でTřeštと書く。ここで間違いあるまい。チェコ政府機関のウエブを片っ端から調べると、政府観光局の日本語ウエブに「トシェシュト(Třešt)」と出ているのを発見した。しかし、語頭の「ト」はおかしい。Tの後に母音が入るわけがない。