柏葉元校長が、河北総合支所から市教委にFaxを送ったと、覚え書きに記した3月13日(前述したように、実際には3月15日)に、送受信記録が残っていなかったことについて、山田課長はこう語る。

「当時の衛星Faxは、市庁舎に1台だけで、すべてが情報を欲しがっていました。しかも、Faxは防災対策課に届くので、連絡員がいたときに、市教委に持ってきてくれるシステムなんです。内容によっては、口頭で教えてもらう場合もあって、電話の代わりにFaxが使われている部分もありました。だから、送った直後に来るかというと、非常に不安がありますし、じゃあどうなの?と言われても、Faxが自分のところにあったわけじゃないですから、実際、届くのかどうか自体、何とも…」

大川小校長、A教諭の話を聞くまで
入ってくる情報は噂話だけだった

 震災後、柏葉元校長が、教員で唯一の生存者であるA教諭とともに市教委に来て、聞き取りが行われた昨年3月25日までの間の状況については、山田課長とのやりとりをそのまま紹介する。

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――柏葉元校長にコンタクトを取ろうとはされていたんですか?

「各校には当然、指導主事が何度も連絡しています。ただ、そのときは、コンタクトは取れていないですね。3月13日から15日にかけて、旧市内では少しずつ、電話がつながりはじめたりしていました」

――どのようにして、連絡を取ろうとされていたんですか?

「やはり、皆の中で使える携帯電話しかないですよ。とにかく自分の携帯で、ソフトバンクが一瞬使えるようになったという話があって、ソフトバンク持っている人がかけると、すぐに使えなくなる。auが使えると聞けば、au持ってる人がかけると、つながらなくなる。そうやって、最終的に、3月下旬には、校長先生の携帯の一覧を作ることができました」

――3月15日までに、柏葉校長とは連絡がとれなかったんですね?

「取れていたら、新たな情報が入ってると思います」

――大川小学校の情報は一切入らなかったんですね?

「先ほど話しましたように、噂話というか、支所からの防災情報で入ってましたけど、そんなことがあるのか?といった情報が入っていました」

――ホワイトボードに何を書かれたか、覚えていらっしゃいますか?

「終わったら、消しちゃってるし、ものすごい情報量がね…」

――ただ、「やばいぞ」という感覚はお持ちだった、と会見でも、おっしゃっていました。

「やばいという感覚は、教員の(犠牲の)ことを聞いてからです。柏葉校長が報告に来る前の噂は、よく覚えていないです」