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「不便益」とは何か
どのような効用があるのか

――わざ言語は典型例の一つですが、「不便益」という考え方を推奨されています。

 不便益とは、文字通り「不便だからこそ得られる価値や効用」のことです。

 ご承知の通り、手間暇を減らし、便利を追求するために一番安直な方法は「自動化」です。自動化が難しければ、高機能化や効率化が望ましいと考えられてきました。ちなみに、辞書によれば、便利とは「思い通りになること」だそうです。

 しかし、人工システム単体を自動化、高機能化、効率化したからといって、必ずしも人間を含めた系(システム)がよくなるとは限らない、という考え方があります。その一方で、「ならばどのようなシステムをデザインすればよいのか」「自動化や効率化以外に、何を指針にすればよいのか」と問われると、答えに窮してしまいます。

 私の大学時代の指導教授は片井修というのですが、1990年代でしょうか、いきなり「これからは不便益だ」と言い出したのです。これを聞いて私は、思い切って自動化や効率化の対極にある「不便」なものを調べて、便利を追求してきたがゆえに見落とされてしまった「本当は大切なこと」を掘り起こしてみようと考えました。以来、AIの研究の道からどんどん逸れていき、いまでは不便益システム研究所なるものを立ち上げ、その代表を務めています。
 では、不便益の例をいくつかご紹介したいと思います。

 豊橋技術科学大学の岡田美智男先生は、社会性を備えたロボットを研究されていますが、機能の足し算ではなく引き算の発想から、人間に頼って一緒に協働しないとタスクを完遂できない「弱いロボット」を設計しています。そこには、不便から何らかの価値やヒントを生み出そうという意図がうかがわれます。

 また、間違った漢字を混入させて漢字形式記憶を強化させるワープロ、微少遅延聴覚フィードバックによって違和感を与えて演奏を上達させるドラム練習システムなども同様です。実際、こうした「妨害による支援」、すなわち妨害要素、不用物や不自然さや不自由さなどのネガティブファクターを活用して、人々の日常的な知的活動を支援する技術に関する研究開発が行われています。

 ビジネスの世界でいえば、セル生産方式や一人生産方式が当てはまります。ベルトコンベアを利用するライン生産方式と比べると、作業の数が多く、それゆえ工具や技術、段取りなど覚えなければならないことも増えていきますから、面倒つまり不便です。ですが、部分と全体の関係を理解できるホリスティックな視点、チームとしての一体感や責任感をはじめ、ライン生産方式よりも時間とコストが圧縮される場合があり、1人当たり労働生産性も高まるという益があることが報告されています。

 また、多くの人たちに共通する経験でいえば、電子辞書ではなく紙の辞書を使うことにも不便益があります。紙の辞書を使うことには、そこには「習熟を許す」という益があります。習熟は飽和しません。なお、「不便の効用を活用しよう」というスローガンは、いまより不便だった昔の生活を懐かしむ懐古主義や自然回帰の運動とは異なります。

 京都大学から広まった「ビブリオバトル」という知的書評合戦をご存じですか。これが大人気で、大学や図書館でさかんに開かれてします。本好きの人は自分の書評を発表したくなるようで、ブログやSNSが発達したおかげで、こうした傾向に拍車がかかり、たくさんの人たちが思い思いの書評をネット上に公開しています。

 ビブリオバトルでは、参加者たちが、読んでみて面白いと思った本を持ち寄り、持ち時間5分間でお気に入りの本を紹介します。そのプレゼンテーション後、参加者全員で短いディスカッションを行います。すべての発表が終わった後、1人1票で「どの本が最も読みたくなったか」を決める投票が行われ、最も票を集めた本が「チャンプ本」として認定されます。

 これにも不便益があります。ネット書評はいつでもどこでも書ける、あるいは読めるという手軽さや気楽さがありますが、ビブリオバトルの場合、複数の人たちが同じ時間、同じ場所に集まらなければなりません。

 また、通常の言いたいことを自由勝手に書きつづる書評と違って、5分間という限られた制約の中で、いかに他の人たちの共感や賛同を得られるか、頭を使わなければなりません。しかし、ここで紹介された本、特にチャンプ本は参加者の頭に残るはずですし、次なる読書への動機付けにもなります。