知の探索・知の深化を理解し、「両利きの経営」を実現せよ
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サマリー:知の探索・知の深化の理論は現代の日本のビジネスを考える上で、決定的に重要な「思考の軸」である。筆者の入山章栄が様々な講演で「話してほしい」と依頼されるテーマのほとんどが、この知の探索・知の深化の理論に... もっと見る関するものだという。経営者はなぜ知の探索・知の深化の理論が重要だと考えるのだろうか。本稿では、知の探索・知の深化の理論が企業のイノベーションにとって重要である理由を説明する。本稿は『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年)の一部を抜粋し、紹介したものである。 閉じる

「知の探索」と「知の深化」は重要な思考の軸である

 さて組織学習の骨組みを把握したところで、ここからが本章の本題である。本章と次章では、図表1のサブプロセス(1)にあたり、近年のイノベーション研究において核心的に重要な“exploration and exploitation”に焦点を当てる。本書『世界標準の経営理論』では explorationを「知の探索」、exploitationを「知の深化」と呼ぶことにする(※1)

 筆者は、知の探索・知の深化の理論は現代の日本のビジネスを考える上で、決定的に重要な「思考の軸」と考えている。多くの経営者・コンサルタントからもこの点に賛同をいただいている。まずはその基本メカニズムを解説し、次にその応用視点、実際のビジネス事例、経営学の様々な研究成果を解説しよう。

知の探索・知の深化とは何か

 知の探索・知の深化の理論は、現代の経営学研究でイノベーションを説明する際に、間違いなく最重要視される理論である。筆者自身、2013年に日本に帰ってきてから様々な経営者やビジネスパーソンと交流する中で、この理論の重要性を肌に染みるほど感じている。筆者は様々な民間企業・業界団体から講演の依頼をいただくが、そこで「話してほしい」と依頼されるテーマのほとんどが、この知の探索・知の深化の理論に関するものだ。現代の日本の企業の課題を、鋭利に切り取っているからだろう。すべてのビジネスパーソンに思考の軸として理解いただきたい理論なのだ。

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図表1

 さてもう一度、図表1の循環プロセスを見ていただきたい。ここでサブプロセス(1)に当たるのが、サーチであり、知の探索だと述べた。サーチとは、前章で解説したBTF理論の重要概念で、一言で言えば、「認知の範囲の外に出ること」である。カーネギー学派の前提が「限定された合理性」(bounded rationality)にあることは、前章で強調した。人や組織は認知に限界があるから、本当はこの世に自社にとって有用な選択肢が多くあるにもかかわらず、その大部分を認識できない。したがって「サーチ」をすることで、認知の範囲を広げる必要がある。

 しかしサーチという概念は、あまりにもシンプルではないだろうか。実際には、サーチにも程度や種類があるかもしれない。このサーチという概念を発展させ、「知の探索」というより包括的な概念を整理し、さらにその対立概念である「知の深化」を提示し、探索と深化のバランスの重要性を提示・検証したのが、スタンフォード大学のジェームズ・マーチが1991年に『オーガニゼーション・サイエンス』に発表した論文である(※2)

マーチが打ち立てたイノベーション研究の金字塔

 このマーチの1991年論文が、世界のイノベーション研究における金字塔であることは論を待たない。日本ではイノベーションと聞くと、ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセンによる『イノベーションのジレンマ』を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、クリステンセンに失礼がないように述べたいのだが、『イノベーションのジレンマ』は、実は世界の経営学ではほとんど研究者の分析対象になっていない。間違いなく実務家への示唆はある視点だが、学術的な意味での厳密性が薄いからかもしれない。

 一方で世界の経営学者に最も引用されるのは、間違いなくこのマーチの1991年論文だ。グーグル・スカラーでのその引用数は、2万3000を超える(※3)

 実は同論文発表以前にも、「知の探索・深化」に似た考えはカーネギー学派の研究者により度々提示されてきた。しかし、このマーチの論文は、初めてそれらを「知の探索・深化」という包括した概念でまとめ、その関係性を明快に描き切り、その含意をコンピュータシミュレーションで提示したことに価値がある。

 では、マーチの1991年論文による、知の探索・深化の定義を見てみよう。

 Exploration includes things captured by terms such as search, variation, risk taking, experimentation, play, flexibility, discovery, innovation. Exploitation includes such things as refinement, choice, production, efficiency, selection, implementation, execution.(March, 1991, p.71.)

 知の探索は「サーチ」「変化」「リスク・テイキング」「実験」「遊び」「柔軟性」「発見」「イノベーション」といった言葉でとらえられるものを内包する。知の深化は「精練」「選択」「生産」「効率」「選択」「導入」「実行」といった言葉でとらえられるものを内包する。(筆者意訳)

 このように、知の探索は「サーチ」を内包する。そして「リスク・テイキング」でもある。さらにマーチのこの初期の定義では、「イノベーション」さえも知の探索の一部に内包されている。

 この理論がブラッシュアップされた現代から振り返れば、この1991年当時の定義は、やや煩雑に見える。後年になるにつれ、彼に続いた研究者によって定義は洗練されていき、現代の経営学者に普及した「知の探索・深化」にはほぼ共通の定義がある。例えば以下の2つなどが代表例だ。

 They engage in exploration―the pursuit of new knowledge, of things that might come to be known. And they engage in exploration―the use and development of things already known.(Levinthal & March, 1993, p.105)

 知の探索はこれから来るかもしれない「新しい知の追求」である。知の深化は「すでに知っていることの活用」である(※4)。(筆者意訳)

 Exploration entails a shift away from an organization’s current knowledge base and skills. Exploitation is associated with building on the organization’s existing knowledge base. (Lavie et al., 2010, p.114より筆者抜粋.)

 知の探索は、組織の現在の知の基盤(と技術)からの逸脱であり、知の深化は、組織にすでに存在している知の基盤に基づいたものに関連している(※5)。(筆者意訳)

 ちなみに、1つ目の定義を提示したペンシルバニア大学のダニエル・レビンサールは、マーチと並ぶ認知心理学ディシプリン(カーネギー学派)の大重鎮である。2つ目の定義を提示したイスラエル工科大学のドヴェブ・ラビは、知の探索・深化に関する研究で、いま最も実績を挙げているスター経営学者の一人だ。

 両者の定義は、ほぼ変わらない。マーチの1991年論文の定義との違いは、後者2つは両方とも「知」“knowledge”という言葉を軸にしていることだろう。新しい知を求めるのが「探索」、いま持っている知をそのまま活用するのが「深化」ということだ。

※1 知の探索と知の深化については、包括的なサーベイを行った論文が複数ある。例えば、Gupta, A. K. & Smith, K. G. 2006. “The Interplay between Exploration and Exploitation,” Academy of Management Journal, Vol.49, pp.693-706.やLavie,D. et al., 2010. “Exploration and Exploitation Within and Across Organizations,” Academy of Management Annals, Vol.4, pp.109-155.、Birkinshaw, J. & Gupta, K. 2013. “Clarifying the Distinctive Contribution of Ambidexterity to the Field of Organization Studies,” Academy of Management Perspectives, Vol.27, pp.287-298. を参照。

※2 March, J. G. 1991.“Exploration and Exploitation in Organizational Learning,” Organization Science, Vol.2, pp.71-81.

※3 ちなみに同論文の中心部では、コンピュータシミュレーションを行い、組織が学習成果を高められる条件を分析している。その結果、組織の学習量が増える条件として、(1)組織メンバーが組織の考えに「早く染まらない」こと、(2)組織の考えに「早く染まる人」と「遅く染まる人」など多様な人が混在していること、(3)組織のメンバーが一定比率で入れ替わること、などが明らかにされている。いずれも、これらの条件下なら、組織(のメンバー)が知の探索を継続できるからだ。このように、四半世紀前にマーチが行ったシミュレーション分析は、現在の組織イノベーションの考えに重要な視座を与えている。

※4 Levinthal,D. A. & March,J. G. 1993. “The Myopia of Learning,” Strategic Management Journal, Vol.14, pp.95-112.

※5 例えば、Lavie, D. et al. (2010) を参考。