両利きの経営

 なぜ経営学者は、知の探索・知の深化の理論がイノベーションに重要と考えるのか。その最大の理由は、繰り返しだが人の認知に限界があるからだ。本来の世界は圧倒的に広いはずなのに、人は認知に限界があるので目の前の狭い部分しか見えない。したがって、少しでも自分の認知の範囲を出ることが重要であり、その行為を前章では「サーチ」と称し、本章では(特に広範囲のサーチを)「知の探索」と呼んでいる。

 この点を直感的に理解するために、「イノベーションの父」と呼ばれた経済学者ジョセフ・シュンペーターが提示した、新結合を紹介したい。

新しい知は、常に既存の知の組み合わせで生まれる

 イノベーションの原点は言うまでもなく、新しい知・アイデアを生み出すことである。新しいアイデアがなければ、人も組織も新しいことはできない。そしてシュンペーターによると、「新しい知とは常に、『既存の知』と別の『既存の知』の『新しい組み合わせ』で生まれる」のだ。

 言われてみれば、これは当たり前のことかもしれない。人間はゼロからは何も生み出せない。皆さんもビジネスをする上で、「新しいことを思いついた!」ということはあるだろうが、それも既存の何かと何かを組み合わせているのだ。

 代表例として筆者がよく引き合いに出すのは、トヨタ生産システムの「かんばん方式」だ。同方式は、生みの親であるトヨタ自動車の大野耐一氏が、1950年代に米国のスーパーマーケットのモノ・情報の流れからヒントを得たというのは有名な話だ。

 それまでの自動車生産はまず部品をつくって(前工程)、その部品を組み合わせて完成車にしていた(後工程)。前工程が必要なだけつくり、後工程に「押し出す」流れだ。

 一方のスーパーマーケットでは、顧客が来て必要なものを必要なだけ買っていく。すなわち、後工程が前工程に必要な分だけを「引き取りに来る」のだ。この方式なら、在庫などのムダを省くことができる。大野氏はこの発想を自動車生産に応用し、かんばん方式の着想のもととした。まさに「スーパーマーケット」と「自動車生産」という、つながっていなかった知と知が結び付いて、日本が世界に誇るイノベーションが生まれたのである。

 「知と知の組み合わせ」の例は、他にも枚挙にいとまがない。ヤマト運輸の中興の祖である小倉昌男氏が宅配便のビジネスを思いついたのは、吉野家の牛丼ビジネスを学んだ時と言われる。カルチュア・コンビニエンス・クラブ創業者の増田宗昭氏がTSUTAYAのビジネスモデルに思い至ったのは、消費者金融のビジネスを見た時だと言われる。このように、イノベーションの源泉である「新しい知」を生み出すには、既存の知と知を組み合わせる必要があるのだ。

現在の知の範囲外にある知を探索し、組み合わせる

 しかし人・組織は、ここで大きな課題に直面する。それは繰り返しだが、やはり人の認知に限界があることだ。したがって、人・組織はどうしても本質的に、「いま認知できている目の前の知同士だけ」を組み合わせる傾向があるのだ。経営学では、myopia(近視)という。

 したがって目の前の知だけをひたすら組み合わせるから、ある程度の時間が経つと組み合わせが尽きてしまい、新しい知が生まれなくなるのだ。実際、日本でもいまイノベーションに悩む企業の多くが、大企業・中堅企業など歴史が長い会社なのは、その長い歴史の中で目の前の知と知の組み合わせをやり尽くしているから、ととらえられる。

 したがって、人・組織が新しい知を生み出すために必要なことは、「自分の現在の認知の範囲外にある知を探索し、それをいま自分の持っている知と新しく組み合わせること」なのである。それが、知の探索である。

深掘り、磨き込みという知の深化があるからビジネスになる

 一方で、知の探索だけではビジネスにならない。なぜなら新しい組み合わせを試みる中で生まれた知が、実際に「商売の種になるかもしれない」となれば、そこは徹底的に深掘りし、何度も活用して磨き込み、収益化する必要があるからだ。これが、知の深化である。知の深化があるから、それは収益性のあるビジネスとなり、企業に持続性を持たせるのだ。

 この考えは、まるで右手と左手が両方使える人のようだという意味で、ambi-dexterity(両利き)と呼ばれる。筆者は「両利きの経営」と呼んでいる。図表2でいえば、上の薄い矢印のようなイメージだ。

「深堀り」ばかりしていると自己破壊しかねない理由(図表2)拡大画像表示

知の深化に傾斜、コンピテンシー・トラップ

 しかし、ここでさらなる問題がある。企業・組織はどうしても知の探索が怠りがちになり、知の深化に傾斜する傾向があるのだ。マーチの1991年論文も、この点を明示している。

 なぜなら知の探索は、理屈ではわかっても、実際にその行動を持続するのが難しいからだ。第1に、知の探索は自分の認知の範囲の外に出ることだから、経済的、人的、時間的にコストがかかる。第2に、知の探索は新しい知と知を組み合わせることだから、不確実性が高い。新しい知と知の組み合わせの多くは、失敗に終わってしまう。先のマーチの1991年論文の「知の探索」の定義に“risk taking”という言葉が入っているのが、象徴的だ。

 一方の知の深化は、既存知の活用なのでその見通しは確実性が高く、コストも小さい。したがって組織・意思決定者から見れば、知の探索をおろそかにして知の深化に傾斜する方が、少なくとも「短期的には合理的」なのだ。カーネギー学派が基盤とする「限定された合理性」の帰結として、知の深化への傾斜が起こるのである。結果として「知の探索」がなおざりにされるので、中長期的にイノベーションが枯渇するのである。

 マーチの1991年論文は、この点を以下のような文章で示している。

 Since long-run intelligence depends on sustaining a reasonable level of exploration, these tendencies to increase exploitation and reduce exploration make adaptive processes potentially self-destructive.(March, 1991, p.73.)

 長期的な(組織の)知性は、知の探索を十分なレベルで持続できるかにかかっているので、知の深化を増大して、知の探索を減じさせるこれらの傾向は、組織の適応プロセスを自己破壊的なものにしかねない。(筆者意訳)

「新規事業開発部」「イノベーション推進室」の顛末

 この言葉を聞いて筆者がすぐ思い当たるのが、日本の大企業でよくつくられる「新規事業開発部」「イノベーション推進部」などと呼ばれる部署の顛末だ。

 新規事業開発の部門は、「従来の事業と異なる、新しい分野を開拓する」といった謳い文句で立ち上げられる。まさに知の探索を目指して立ち上げられるのだ。しかしこれまで述べた理由で、知の探索をする部門は、コストがかかる割に成果がなかなか出てこない。結果、最初の1~2年は十分な予算がついていても、3年もすると「成果が出ない」という理由で予算が回って来なくなる。毎年の予算目標を達成したい企業は、いま確実に儲かっている目の前の事業に予算を回しがち(=知の深化)だからだ。

 これは短期的な収益性を高める上では有効なのだが、一方でここまで述べた理由で、長い目で見た企業の「知の探索」を損なわせ、結果として中長期的なイノベーションが枯渇していくのだ(図表2の下の濃い矢印)。まさに自己破壊である。この状況を、コンピテンシー・トラップ(competency trap)と呼ぶ。

 近年、多くのメディアが「日本企業にイノベーションが足りない」と語る。もちろん表層的には様々な理由があるだろうが、世界標準の経営理論からみれば、その根底にあることは同じだ。すなわち「日本企業の多くが、コンピテンシー・トラップに陥っている」のである。

 逆に言えば、企業がイノベーションを取り戻すには、自社を様々なレベルで「知の探索」方向に押し戻し、両利きのバランスを取り戻すことが決定的に重要なのだ。図表2で言えば、下の濃い矢印から上の薄い矢印へ押し戻すことだ。本章の理論が提示するのは、バランスの良い、高いレベルの「両利き」を目指すことこそが経営の本質ということだ。