橘玲の日々刻々 2020年2月21日

人類は数百万年前から「評価社会」を生きてきた
だから、ひとは「嘘つき」で「自信過剰」
【橘玲の日々刻々】

人類は数百万年前から「評価社会」を生きてきた

 すくなくとも350万年前には、人類の祖先はサバンナで150人程度の集団をつくり、そこで「社会性」を高めていった。ぶ厚い毛皮も戦うための牙ももたない人類は1人ではきわめて弱い個体で、共同体から放逐されることはただちに死を意味した。共同体に適応する能力=社会性を獲得することは、文字どおり死活問題だったのだ。

 ヒッペルは、自尊心、罪悪感、恥のような「自己意識的感情」はここから生まれたという。「集団の価値を高めるような行動をとったとき、わたしたちは自尊心を抱く。集団の誰かに害を与えたとき、わたしたちは罪悪感を抱く。集団のまえで自分たちの価値を下げる行動をとったとき、わたしたちは恥を感じる」ようにつくられた人類は、数百万年前から「評価社会」を生きてきたのだ。

 「心の理論」は相手がなにを考えているかを理解する能力のことで、人間だけがもつ。それに対して「共感力」は、相手が感じていることを自分も同じように感じることで、この2つは別のものだ。

 ヒッペルは、「進化によって与えられたあらゆる傾向のなかでも、自分の心の内を他者と共有したいという願望こそが、人間を食物連鎖の頂点に押し上げるうえでもっとも重要な役割を果たしたのではないだろうか」と述べる。だがこれは、「わたしのことを知ってほしい」「あなたのことを理解したい」という共感の欲求では必ずしもない。

 人間の行動に利他性が見られることは間違いないが、進化の基本単位である遺伝子は常に利己的だ。生き物のあらゆる特徴は生存と生殖に最適化されており、遺伝子の複製を最大化するように「設計」されている。

 だとしたら、「心の理論」が進化した理由はなんだろう。それをヒッペルは、「ほかの人の心に自分の考えを植え付けることは、集団を自分の好きな方向へとうながす絶好の機会を与えてくれる」からだという。それと同時に、「自分の考えや感情が他者に受け容れられると、集団内の自らの地位が確かなものになり、将来について安心感を抱けるようになる」。この2つの要因によって、本来は利己的なものであるはずの「心の理論」が、社会的な協調や分業に役立つようになったのだ。

 「心の理論」の本質が「相手の心を操作したい」「集団内での自分の地位を安定させたい」だとすると、そこから“嘘”と“誇張”が生まれるのは必然だ。嘘によって相手をうまくだますことができれば自分の利益になるし、誇張によって実際より自分をよく見せることができれば、労せずして集団内の地位が上がる。道徳的に批判されるこれらの行為は“人間の本性”なのだ。

 とはいえ、すべてのメンバーが嘘と誇張しかいわないのなら、協調や分業などできるわけはなく、共同体はたちまち崩壊してしまうだろう。そうならないのはブレーキが備わっているからで、それが「自制心」だ。これは脳の外側前頭前皮質(LPFC)と前帯状皮質(ACC)が関係している。

 研究室に被験者を集め、実験者が「わたしが大好きな中国の郷土料理をぜひ食べてください」といって、タッパーから鶏足の煮込みを取り出して見せるという実験がある。日本の中華料理店ではあまり見かけないが、中国や香港ではよく出てくる定番の料理だ。けっこう美味しいが、ヨーロッパ人にはまったく馴染みがなく、ほとんどは強い拒否感を示す。

 実験でも、タッパーから料理が出てくると室内は重い沈黙が支配し、その後、おどおどと鶏の足をつまみあげ、なんとかかじりつく勇気を奮い起そうとした者もいれば、「自分はベジタリアンだ」「ユダヤ教の戒律に従って調理したコーシャー料理しか食べない」などの言い訳を思いついた者もいた。

 研究者がその後、被験者の脳をfMRIで調べたところ、ACC(前帯状皮質)が敏感なひとほど、より社会的に適切な反応(「興味深い料理ですね」などといいながら、相手に失礼にならない言い訳を考えつく)をすることがわかった。それに対してACCが鈍感な被験者は、衝動的な反応(うえっ、気持ち悪い)を抑え込むことができなかった。

 ACCと自制心の関係は明瞭で、その人物が過去に反社会的な行動にかかわったかどうかはACCの敏感性/鈍感性だけでほぼ正確に予測できた。

 

「ヒトは共同体のルールに従いつつも抜け駆けしようと試みている」

 進化心理学者のロバート・トリヴァースは1970年代に、「わたしたち人間はより効果的に他者を欺くために自分を欺くように進化した」と主張したが、これが正しいかどうかはこれまで検証されたことがなかった。だが近年は、さまざまな興味深い研究が積みあがってきている。

 カリフォルニア大学バークレー校の研究チームは、学生たちを少人数の作業グループに分けた実験で、多くの被験者が相手が「博識」なのか「自信過剰」なのかを区別できないことを突き止めた。アムステルダム大学の研究チームがプロの人事コンサルタントを被験者に、どの応募者を管理職に昇進させるかを調べたところ、的確に自己認識できている志願者よりも自身過剰の候補者のほうが推薦されることが多かった。「経験豊かな人事コンサルタントでさえ、「現実的な自己認識」と「口から出まかせ」を区別することができなかった」のだ。

 ヒッペルの研究室の実験では、自分の運動能力について過信する男子学生は、高学年になるにつれて実際に人気が高くなる傾向があることがわかった。自信過剰の効果は短期的なものにかぎらず、「長期にわたる社会的ネットワークのなかでも好影響を及ぼす」のだ。

 多くの人は「自信過剰」と「うまく調整された高レベルの自信」を区別することが苦手だ。結果として、非現実的なほど壮大な自己像をもつ人のほうが、リーダーシップ競争において有利に闘いを進めることになる。残念ながら、「自己欺瞞は社会的な武器」というトリヴァースの予測は正しかったのだ。

 私は『朝日ぎらい』(朝日新書)で、「ヒトは共同体のルールに従いつつも抜け駆けしようと試みている」と論じた。ルールに従う、つまり道徳的に振る舞っているだけでは、いいように扱われてヒエラリキーの下層に押し込められるだけだ。そう考えれば、共同体で成功できるのは、道徳的に振る舞っているように装いつつ、実際には不道徳に行動する戦略だということになる。

 リベラルと保守の比較では、リベラルの方が知能(学歴)が高く、経済的にもゆたかなことがわかっている。これは、リベラルがその高い知能を使って「抜け駆け」しているからで、だからこそ保守派はリベラルを忌み嫌うのではないかというのが私の仮説だったが、ヒッペルによればこの「知能」はIQのことではなく、社会的知能すなわち誇張や自己欺瞞、自制の能力のことのようだ。

 ちなみにヒッペルは、イノベーションに必要な「拡散的思考」についても述べている。これは「問題に対して異なる解決案を考え出す能力」とされるが、IQとは無関係だという。この拡散的思考はパーソナリティのビッグファイブの「経験への開放性」に相当するのだろうが、それについては別の機会に論じたい。
 

 

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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