江戸周辺では鮎が捕れなかったため、近くは多摩川から鮎を運んでいました。

 一旦四谷の鮎問屋に運ばれた鮎は、若い女たちが頭に乗せた駕籠に入れられ、道中獣に襲われないよう、鮎唄を唄いながら、夜立ち明け入りで江戸の問屋に運んだそうです。

 江戸時代の料理書『料理物語』(1643年刊)には、「なます。汁。さしみ。すし。やきて。かまぼこ。白ほし。しほ引きにしてさかな。さかびて。うるか。…」など、多彩な料理方法が並んでいます。

 すしというのは「鮎鮨」のことで、滋賀県名産の「鮒寿司」のように、塩漬けにした鮎と御飯を桶に交互に詰め、一か月ほどかけて乳酸発酵させた熟《な》れ寿司の一種で、江戸時代にはよく食べられていました。

 鮎は特に武家に好まれたらしく、幕府や大名家は鮎の確保のため、川の上流部を独占して、禁漁場を設けるほどでした。

小鮎の佃煮
【材料】小鮎…200g/酒…150ml/砂糖…50g/醤油…100ml/みりん…25ml/実山椒…大さじ1
【作り方】 ①小鮎は水洗いしてザルに上げ、水気を切っておく。②鍋に酒を沸かし、砂糖を溶かし入れた後、醤油を入れて1を入れ、弱火でアクを取りながら煮る。出汁が半分ぐらいになったら実山椒を入れ、出汁が煮詰まるまで煮て、仕上げにみりんを入れて軽く煮、照りをつける。

 時代は下って、美食家で有名な北大路魯山人《きたおうじ ろさんじん》は、夏になると毎日、自身が顧問兼料理長を務めた超高級料亭「星ヶ岡茶寮」に新鮮な鮎を届けるため、京都の奥地を流れる和知川からはるばる東京まで、船と列車を乗り継ぎ、2日がかりで千匹の生きた鮎を運ばせたそうです。

 鮎を生かしたまま運ぶには、絶えず柄杓で冷たい水を注いでおらねばならず、その苦労たるや計り知れません。

 いったいどれだけの値がつけられたのか興味があるところですが、そこまでして食べたいという、日本人の、鮎にかける意気込みが極まったエピソードだと思います。