──前回の記事:将来の見通しが立たない時、ビジネスの「取引」にどう対処するか(連載第34回)
取引において「足元を見られる」時
1919年、GMはフィッシャーボディとの間で、「フィッシャーボディが設備投資をしてくれたら、今後10年は車体を同社以外からは受注しない」という専売契約を結んだ。結果、フィッシャーボディは設備を導入し、同社からGMヘ、クローズドな車体の供給が始まった。
しかし、米国の自動車需要の急増という不測の事態がおきた。この想定外の市場の伸びを受け、GMはフィッシャーボディにクローズドな車体の大量発注を申し出た。大量発注をすれば規模の経済効果でコストダウンが可能だろうから、当然ながら車体価格の値下げも期待した。しかし実際には値下げは成立しなかった。GMにとって非常に不満の大きい状況に陥ったのである。
なぜGMはフィッシャーボディに値下げを強制できなかったのか。それは、急激な需要変化での価格対応について、両社の間で明快な取り決めが契約でなされておらず、さらにGMがフィッシャーボディ以外に車体供給先を見つけられなかったことが大きい。
GMが違約金を払ってフィッシャーボディとの契約を破棄しても、GMは同社ほどに自社の求める技術を持ったサプライヤーを見つけられない。フィッシャーボディもそれはよくわかっているから、値付けにおいて「足下を見てきた」のである。
このGMが陥った状況を、経済学・経営学では「ホールドアップ問題」という。
ホールドアップ問題の要因とその帰結
情報の経済学では「アドバース・セレクション」が、前章のエージェンシー理論では「モラルハザード」が、それぞれ企業の直面する問題だった。そして今回のTCEで企業が直面するのは、ホールドアップ問題である。TCEによると、以下の3つの条件と一つの大前提が、ホールドアップ問題を引き起こす要因となる。
(1)不測事態の予見困難性(unforeseen contingencies)
まず、「不測の事態」の予見の難しさである。これは人間の合理性が限定的だから生じる。さらに言えば、ビジネスには将来が見通しやすい環境と見通しにくい環境があり、特に後者は不測事態の予見を難しくさせる(※1)。
先の例なら、20世紀初頭の自動車産業は木製の車体から鉄製のクローズドな車体へという主要技術の転換期にあり、そもそも将来の見通しが難しい時期だった。GMもフィッシャーボディもこれほどクローズドな車体需要が急激に伸びるとは、契約時には想定できなかったのである。
(2)取引の複雑性(complexity)
取引の複雑さも影響する。先の例なら、GMもフィッシャーボディも、当時目新しく複雑なプレス技術を使った車体開発・製造・取引において、将来の不測事態を見通した契約を結べなかった。したがって、いざ需要が急伸した時に、契約に縛られないフィッシャーボディがGMの足下を見る事態になったのである。