取引費用理論(TCE)はビジネスの先を見通す「思考の軸」になる
Photo:iStock
サマリー:今回で取引費用理論(TCE)の解説は最後となる。TCEは、企業・組織の本質を考える上でも欠かせない。第34回から今回までを学んだ読者は、TCEが我々のビジネスを見通す「思考の軸」としていかに重要か、なぜこれほど... もっと見る経営学で重視されるのか、その理由が理解できるはずである。本稿は『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年)の一部を抜粋し、紹介したものである。 閉じる

──第34回の記事:将来の見通しが立たない時、ビジネスの「取引」にどう対処するか(連載第34回)
──第35回の記事:ビジネス取引で足元を見られる「ホールドアップ問題」を引き起こすもの(連載第35回)
──前々回の記事:TCEは「なぜ企業が存在するか」を説明する(連載第36回)
──前回の記事:ビジネスパーソンが混同しがちな「実証」と「規範」(連載第37回)

ハイブリッド・ガバナンスに潜むトレードオフ

 さて、ここまでは取引費用理論(TCE)による「市場vs.ハイラーキー(企業)」という二者択一のガバナンス選択を述べてきたが、現実のビジネスにはその中間形態もある。市場と企業の混合という意味で、ハイブリッド・ガバナンスと呼ばれる。

 代表的なのは、企業間提携(アライアンス)関係だ。アライアンスは、複数の企業が互いに何らかの経済取引を行っているという意味では、市場取引の側面を持つ。一方で、複数社がそれぞれの経営資源を持ち寄って、一つの組織として共同作業をすることも多い。その意味ではハイラーキーの要素もある。

 さらに言えば、ハイブリッド・ガバナンスであるアライアンスにも、純粋市場に近いものからハイラーキーに近いものまで、濃淡がある。例えば技術ライセンシングは、契約をして技術のやりとりをするだけなので市場取引に近い。他方、共同R&Dでは、両社が様々な知識・技術を持ち寄って一つのチームとして共同作業をするから、ハイラーキーに近くなる。さらにハイラーキーに近いのは、複数社で資金を出し合って新しい会社をつくるタイプのアライアンスだ。すなわち合弁事業である。

拡大する
図表5

 図表5は、横軸に純粋市場取引とハイラーキーを両極として、様々な取引ガバナンスを並べたものだ。横軸を右に行くほど、ハイラーキーに近づく。TCEの視点で言えば、(1)不測事態の予見不可能性、(2)取引の複雑性、(3)資産特殊性、が高まるほど、企業は右方向の取引ガバナンスを選択した方がよいことになる。

 縦軸は、上に行くほど取引コスト以外の費用(投下する資金・生産コスト・販管費など)を抑えられる。一般に、取引コストを抑えようとするほど、相手をコントロールする必要があるので、そのために投下する資金・生産コスト・販管費などがかかる。逆に合弁企業のように新しい組織をつくるよりは、技術ライセンシングの方がはるかに投下する資金はかからない。

 すなわち図表5にあるように、TCEの視点からは、「取引コストを抑えられるコントロール度合い」と「そのための様々な諸費用の出費」はトレードオフの関係にあり、企業はそのトレードオフの中で自社取引に最適なガバナンスを見つける必要があるのだ。

 このように、アライアンスを含めた多様なビジネス取引ガバナンスをTCEの視点で整理したのは、現トロント大学のジョアン・オクスリーが1997年に『ジャーナル・オブ・ロー・エコノミクス・アンド・オーガニゼーション』に発表した論文である(※1)。取引ガバナンス選択の研究は現代の企業戦略論の一大研究テーマとなっているが、その基本ロジックはまさにこれまで述べた通りであり、そして図表5にまとめた通りである。

 図表5を理解することは日本のビジネスパーソンにとっても今後さらに重要になると、筆者は考えている。なぜそういえるのか、2つの観点から説明しよう。